柳家三三の「ろくろ首」や「金明竹」などの噺を聞くと、どうしても柳家小三治の同じ噺がオーバーラップしてくる。
主人公である与太郎のスケールの大きな野放図さは、小三治とよく似ているのだ。三三のこれらの噺は、師匠直伝ではなく、ほかの師匠や兄弟子から習ったものなのだ。しかし、つねに師匠小三治が何を思い、何を考えているかを意識の中に抱いていることで、間接的ながら教えを受けていることになるのだろう。
柳家三三は、「賞荒らし」と言っていいほど数多くの賞を受けている。師匠の教えは身に付いているといえよう。
ただし、本人はこういう。
「うちの師匠は弟子にも厳しかったし、周りにも厳しかったかもしれないですけど、やっぱり自分に対していちばん厳しい人なんですよね。でも、僕は基本的に自分にいちばん甘いタイプなので、そこまで似てはいないと思いますよ(笑)」
柳家三三は、当代の落語家では屈指の「能弁」だ。
とくに長屋のおかみさん。「締め込み」では、泥棒が忍び込んで作った風呂敷包みを前に夫婦げんかが始まる。おかみさんが「がみがみ」とまくしたてるのだが、三三のおかみさんの言葉は、超高速にもかかわらず粒が立って、意味を持った言葉として聞き取ることができる。
これがある種の音楽のように、耳に心地よい。大工職人の旦那八五郎に「やかましい!」と一喝されたおかみさんは、こう切り返すのだ。
「またお前さん、どっかで喧嘩してきたんだろ。外で喧嘩してはうちに帰ってあたしにあたるんだから子どもだよ。おとっつぁんおっかさんが言っていたんだよ。八もいい職人になった、喧嘩しなくなった。一人前の職人だって。
誰とやったんだい、六さんかい、銀さんかい、まさか与太郎じゃないだろうね、あんなものと喧嘩したって何の得にもなりゃしないんだから。腹が立つことがあるかも知らないけど、うちに帰ってあたしにあたったって仕方がないだろ」
息もつかせず滔々とまくしたてるのだ。このセリフ、自分で口ずさんでみても、ちょっと快感である。
落語史上では六代目三遊亭圓生の師匠の四代目橘家圓蔵(品川の圓蔵)のように「立て板に水」の名人がいる。三三もその系譜に連なる1人だといえよう。
「基本的に落語は何を言っているのかわからなければ伝わらないから、別に速くしゃべれることが自慢にはならないし、意識はしません。それに最近、そのスピード感がちょっとじゃまっけに感じるようになってきたから、少しずつゆっくりに変わっていくかもしれません。
ちなみにSPレコードで聞く四代目橘家圓蔵師匠の口調は、弟子の六代目三遊亭圓生師匠に驚くほどそっくり。圓生師匠のほうがゆっくりかな、と言うくらいで実によく似ていて興味深いです」
珍しい話に活きる話芸の力
柳家三三の持ちネタは多いが、筆者が好きなのは「橋場の雪」や「田能久」「松山鏡」のような、あまり口演数が多くない珍しい噺だ。
口跡がよくて、聞き取りやすい三三は、聞きなれない噺でも筋立てがよくわかる。不思議なストーリーでも抵抗感なく耳に入ってくる。「立て板に水」の能弁があるから、細かな筋書きも過不足なく説明できる。それがまた心地よい。
「橋場の雪」は見るからに艶っぽい話だ。主人公は色男の代名詞のような「徳三郎」、相手は落語界屈指の美女「喜瀬川花魁」。この2人が主人公かと思いきや、雪の夜に第三の女が現れて、怪しい出会いをしそうな予感。これは意味深な展開だとドキドキしながら聞いていると、最後は拍子抜けする落ちになる。
三三のこの噺では、深々と雪が降る夜の渡し場の風景が浮かび上がってくる。喜瀬川と謎の女の両方に想いを残した徳三郎の心の揺らめきが、聞き手の心に伝わってくる。人間臭い物語が雪の夜の情景の中にぽっと浮かんでくるのだ。
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