ところが、40歳を過ぎたとき、「パワハラ上司との折り合いが悪かったので」、いつものように退職したところ、一向に再就職先が決まらなかった。原因は年齢だった。このため、介護職員初任者研修の資格を持っていたこともあり、やむをえず介護業界に転職したのだという。セイジさんは「年齢がネックになると思いませんでした。私の考えが甘かったです」と振り返る。
実は、セイジさんは結婚している。再就職を急いだ背景には、こうした事情もあった。妻は正社員で、年収は300万円ほど。世帯収入でみると、セイジさんは厳密には貧困とは言えないのかもしれない。ただ、介護職員になったことで、セイジさん自身の年収は半分以下に。妻にはそのことをどうしても打ち明けることができなかったという。
セイジさん夫婦はそれぞれに自分の収入を管理しており、支出面ではセイジさんが毎月5万円の住宅ローンと光熱費などを支払っていた。妻の手前、生活の質を極端に落とすわけにもいかず、足りない分は貯金を切り崩したという。昨年末に転職できたのは、300万円ほどあった貯金が底をついた、まさにそのときだった。
「妻に対しては罪悪感でいっぱいでした。うちは子どもがいないのですが、もしいたら隠し通すことはできなかったと思います。子どもがいなくてラッキーだったと、心底思いました。でも、失った貯金を元の金額に戻すまで、まだ安心はできません」
厳しい状況下、低賃金で働く介護職員たち
ふと私が初めて介護労働の過酷さを知ったのは、いつだったろうと思った。それは十数年前。ある特別養護老人ホームで起きた虐待事件を取材したことがきっかけだった。一部の介護職員が認知症の入居者らを虐待しているとして、加害者らの同僚でもある介護職員の女性2人が、所管の自治体に内部告発をしたのだ。
食事が遅い入居者の後頭部をたたき、痛がって「わーん」と口を開けたすきにスプーンを突っ込む。ベッドから起き上がろうとする入居者の肩を押すという行為を繰り返し「おきあがりこぼし」と言って笑う。柔道の技をかけて遊ぶ――。私自身の取材でも、虐待の事実は裏づけられた。だから当初私は、加害者たちは人間のクズだと思った。
しかし、さらに話を聞き進めると、介護職員のほとんどが最低賃金水準の非正規労働者であることもわかった。シングルマザーの中には生活保護水準を下回る収入の人もいたし、夜間にスナックのアルバイトを掛け持ちせざるをえない女性職員もいた。
介護職員は時に認知症の入居者から引っかかれたり、蹴られたりと、彼ら自身が“虐待”される側になることも知った。その対価が生活保護水準と同じなのだとしたら……。私だったら虐待行為に走らずにいられるだろうかと、自問せずにはいられなかった。
当時、施設側は虐待の事実を認めず、内部告発者や、問題を他社に先駆けて報じた私、勤務先の新聞社などを名誉棄損で提訴。余談だが、私は自分が訴えられた記者会見を自分で取材する羽目になった。裁判は最高裁まで争われたが、しょせんはスラップ訴訟にすぎず、いずれも被告側が勝利。遅ればせながら、自治体も虐待行為はあったと認定した。
介護労働の劣悪さは労働者だけの問題ではない。サービスの質に直結するし、最悪虐待を誘発する。それは、将来こうした施設を利用する可能性のある“私たち”の問題でもある。一連の取材を通し、そう痛感した。
それから十数年。確かに現場の待遇は改善傾向にある。しかし、セイジさんの話を聞くにつけ、根本的な問題は解決していないようにもみえる。虐待事件も後を絶たない。多分、表ざたになるのは氷山の一角だろう。
虐待行為はおぞましい。ただ、同時にこうも思わずにいられないのだ。彼らの給料はいくらだったのだろう、雇い止めにおびえてはいなかったか、暮らしに余裕はあったのか。何より働きに見合った敬意は払われていたのだろうか、と。
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