しかし、転職先の施設はさらにひどかった。すぐに正社員採用すると言われていたのに、またしても試用期間を設けられた。時給は地域別最低賃金とほぼ同じ850円。仕事は訪問介護で、自家用車で移動したが、ガソリン代などは自腹だった。このため、実質的な手取り額は生活保護水準とほとんど変わらなかったという。
セイジさんは上司に時給アップを求めたが、「これが地域の相場だから」とかわされた。これでは生活できないと重ねて訴えると、あろうことか「ではダブルワークを認めます」と言われたという。セイジさんはリラクゼーションの民間資格を取り、休日などに施術をこなしては、家計の足しにしたという。
法令違反や不当な低賃金には、できれば声を上げるべきだと私は思っている。しかし、個人での交渉には限界がある。立場的に弱い働き手が1人で訴えても、経営者がよほどの人格者でもない限り、聞き流されて終わりだろう。ま、人格者であれば最初から違法な働かせ方などしないわけだが……。
いずれにしても日本国憲法は労働者の団結権を保障しているし、労働組合法もある。セイジさんは1人で訴える度胸があるなら、なぜ法律を利用しないのだろう。私の疑問に対してセイジさんは「もともと個人的に地域ユニオンに加入していました。1人でらちが明かなければ、ユニオンを通して団体交渉を申し入れるつもりでした」と説明した。
介護労働の実態について、最近は「賃金アップのための処遇改善加算が導入されたので、待遇はかなり改善された」といった声を耳にする。果たして本当にそうか。
今の介護保険制度では待遇改善を望めない
厚生労働省のまとめでは2018年、施設などで働く「福祉施設介護員」の残業代などを除いた「所定内給与額」は22万6300円で、産業全体の平均30万6200円を8万円近く下回る。勤続年数も7年と産業全体よりも5年以上短く、依然として人材が定着しづらい職場であることがうかがえる。
結局、セイジさんは団体交渉には踏み切らなかった。理由は「昨年末に条件のよい施設に転職することができたので」。正社員で、月給は約25万円。新しい職場は知人からの紹介で、待遇面では相当色をつけてもらっている、と打ち明ける。
団体交渉をしなかった理由はもう1つあると、セイジさんは言う。「施設の決算報告を見せてもらったら、人件費が7割だったんです。給料を上げろと言っても、これ以上出せる状態じゃない。待遇の悪さの原因は介護保険制度そのものにあるんじゃないかと思ったんです。今の制度では、誰が経営してもあくどいことをせざるをえない」。
介護職場の人件費率は他業種に比べて高い。そして、職員の賃金の原資は基本介護保険から支払われる介護報酬である。人件費率はめいっぱいなのに、低賃金――。これはもはや制度の構造的な欠陥なのではないか、というわけだ。
そもそも、セイジさんはなぜ40代半ばで介護業界に転職したのか 。
いわゆるサラリーマン家庭で育ったセイジさんは、大学卒業後、宝飾品販売を手掛ける会社に正社員として就職した。すでにバブル景気は崩壊。将来、何らかの資格があったほうがよいと思い立ったセイジさんは会社を1年で辞めると、専門学校で医療機器の操作、点検を行う臨床工学技士の資格を取得した。
その後、セイジさんは複数のクリニックや医療機関に勤務。引っ越しをしたり、人間関係がいまひとつだったりすると、そのたびに職場を変えた。それでも、新しい仕事はすぐに見つかり、年収も400万円ほどを維持できたという。専門資格を持つ者の強みである。
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