不登校時代が「私の基礎を作った」と言えるワケ

学童の支援員になった今、思うこと

安心して通える学校以外の場所を地域で見つけることは、簡単なことではありません(写真:mits/PIXTA)
小学校1年生で不登校をし、現在は児童養護施設や学童で支援員として働く久美子さん(31歳/大分県在住)。不登校中、もっとも苦しかったことや、安心できる「居場所」を見つけるまでの経緯などを伺った。

――不登校になったのはいつごろでしょうか?

学校へ行けなくなったのは、小学1年生の終わり頃のことです。入学当初は食べられていた給食のにおいが受けつけられなくなって、徐々に学校に行けなくなりました。

当記事は不登校新聞の提供記事です

その当時の記憶はとてもあいまいなんですけど、髪や服についたにおいにとても敏感で、1日に何度も手を洗ってしまうこともあったと思います。

1年のときの担任は新卒の先生でしたが、放課後に公園へ連れて行ってくれるなど、積極的にケアをしてくれました。

私も友達と遊びたいし、学校が嫌いだとは思っていませんでした。それでもなぜか学校には行けず、2年生になると本格的に不登校なりました。

理由がない、だから苦しい

今、振り返ると学校独特の雰囲気や、その環境での生活様式が合わなかったのだと思います。

しかし、当時の私にはそれらを言葉にすることができず、まわりはもちろん、自分自身でも「行かない」ことに納得できるだけの理由が見当たりませんでした。

「理由がない」ということに悩む時期は、長く続いていました。

――そのころ、学校のほかに居場所はありましたか?

(イラスト:不登校新聞)

私の地元・大分県中津市にフリースクールはありませんでした。フリースクールという言葉を知ったのも、小学校高学年になってからのことです。

そんな環境の中、地域で安心して通える学校以外の場所を見つけることは簡単なことではありませんでした。

最初に出かけるようになったのは、小学2年生か3年生の頃に母親が参加し始めた不登校児童の親の会です。

私を入れて5人から6人ぐらいの小・中学校の子どもたちが集まって遊んだことを覚えています。

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