不登校時代が「私の基礎を作った」と言えるワケ 学童の支援員になった今、思うこと

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もう1つは地元の行政が行なっていた「ふれあい学級」。こちらは週に数回程度、不登校の子どもたちが集まる場所で、中学生になってから何度か行ったことがあります。

けれどなかなか通うというところまでは行かず、遠足などのイベントにだけ誘ってもらって参加していました。

積極的に外へ出て行こうという気持ちになれなかったいちばんの理由は、周囲の目です。

「ふれあい学級」は自転車で15分くらいの距離の古民家で行なわれていていました。

1人で通える距離でしたが、先生に迎えに来てもらえるときしか行く気にはなれなかったんです。

それだけの距離を昼間1人で移動するのは、心理的なハードルが高かったからです。

不登校の子とは遊ばせない大人

まわりには「なんで学校へ行ってないの?」と聞く人がいました。中には、友達の家に遊びに行った私に「学校へ行ってない子とは遊ばせん」と直接言う人もいました。

そのうちに「学校へ行ってないと遊んだらダメなんだな」という思いは、私の頭にすっかりこびりついてしまったのです。

始業時間には間に合わないけど、途中からなんとか学校へ行こうとしたこともあったんです。

けれど、それも簡単なことではありませんでした。ほかの子どもたちが歩いていない通学路を、1人で歩いていくことがどうしてもできない。そんなときは、母に学校まで一緒に来てもらいました。

この頃私は自分のことを、「変わってる子なんやろうな」と思っていました。みんなと同じことができない。そのことにいちばん悩みました。

――その後、見つけられた「居場所」について教えてください。

(イラスト:不登校新聞)

1つ目は、日本舞踊のお稽古です。中津市には、地元の人たちに熱狂的に愛されている中津祇園というお祭りがあります。

お祭りでは地域ごとに山車をひきます。そのうえで友達が踊っているのを見て「私もあそこで踊りたい!」と思ったのをきっかけに始めました。小学3年生の頃のことです。

日本舞踊の先生は、私が不登校であるということを知りながら、あたたかく迎えてくれました。

お稽古は週に1回。一緒に通っていた友だちは年上だったので、その日、私が学校へ行っているかどうかもクラスが違うのでわかりません。

何より、私は祇園が好き。祇園が私の生活そのもの。だから、祇園のお稽古に行くときはまわりの目は気にしなくなっていました。

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