「働いている風おじさん」の何とも難しい扱い方 働かないおじさんよりも実は厄介な存在だ
「いくらなんでも、コケにしすぎだろう」
最近、すごくそう思うことがある。いわゆる「働かないおじさん」の取り扱いに関してだ。50~60代の管理職で、高給取りなのに、会社への貢献度が低い男性社員のことを「働かないおじさん」と呼ぶ。
その一方で「妖精さん」という言葉もある。最初は意味がわからなかったが、ほぼ「働かないおじさん」と同義語だ。さらには「Windows2000おじさん」という表現も出てきている。少し前は、「年収2000万円の窓際族」を指していたようだが、最近は、老後の資金2000万円が貯まるまで窓の外を見て過ごそうとする中高年を指すそうだ。サポート期間を終えたWindows2000のパソコンと同様、「使えない」という意味も含まれているらしい。
「働かないおじさん」でも、「妖精さん」でも、「Windows2000おじさん」でも、何でもいいのだが、そんな中高年が日本社会の大きな課題になっているかというと、そうでもない。
だいたい働き方改革の時代で多くの企業が生産性アップに神経をとがらせているというのに、「働かない」ようなおじさんが、そこら中にいるわけがない。従業員が1万人いるとして、そのうち100人も、窓の外ばかり見ていたり、ふらふら歩きまわっていたりするとは、到底思えない。
中高年ベテラン社員を3種類に分類する
私はコンサルタントとして、クライアント企業の社員、とくに中高年のベテラン社員を以下の3種類に分類し分析している。
②いなくても困らない人(組織の生産性には関係がない人)
③いないほうがいい人(組織の生産性を下げる人)
「働かないおじさん」はじめ、「妖精さん」とか「Windows2000おじさん」というのは、この中では②の「いなくても困らない人」に分類される。組織の生産性を上げることもないが、生産性を下げることもない。給与を支払っている会社からすると忸怩たる思いだろうが、外部コンサルタントにとっては「人畜無害」である。
たしかに、窓の外を見ているかもしれないし、社内外を妖精のように歩き回ったりしているだけかもしれない。しかし、それでも彼らの大半は過去の功労者だったはず。たとえ現在「いなくても困らない」という人であっても、もし余裕があるなら、もっと温かい目で見てもいいだろう。
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