「人は死なない」を前提にした現代医療の問題点 医療者の「専門分化」がかなり進行している
「人生100年時代」とうたわれるようになった。厚生労働省によると、「海外の研究では、2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳より長く生きると推計されており、日本は健康寿命が世界一の長寿社会を迎えています」「100年という長い期間をより充実したものにするためには、幼児教育から小・中・高等学校教育、大学教育、さらには社会人の学び直しに至るまで、生涯にわたる学習が重要です」とのことである。
100歳まで充実した人生を送れるのであれば結構な話なのだが、ここに完全に欠落しているのは、その終着点についての考えであろう。つまり「死」についてである。世の中は、なるべくこれを見ないようにしよう、見せないようにしようという風潮が強い。
さらに問題なのは、医療者もこれから逃げ腰になっていることである。一般には死と直面しているようなイメージがある医者であろうと、誰もが死にゆく患者の診療に直接関与しているのではない。専門化、分業化が進むほどに医者もまた「死」から遠ざかっている。以下、拙著『「人生百年」という不幸』で取り上げたエピソードを中心に、この問題を皆さまに提示させていただきたい。
かつて勤務していた病院でのこと
かつて勤務していた病院での出来事である。
私は全身に転移した骨腫瘍の患者さんを整形外科から引き継いで治療していた。いよいよ亡くなるかというときに、ナースがみな異様に緊張している。聞くと、その整形外科病棟で人が亡くなるのは2年ぶりだという。
そこでは若者のスキー骨折など、命に別状ない患者が圧倒的に多く、「死ぬ人なんて診たことない」らしい。そんなこともあるのか、とまだ若かった私は感心してしまった。
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