「人は死なない」を前提にした現代医療の問題点 医療者の「専門分化」がかなり進行している

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医者の世界も分業化が進み、「死」と直に接していたはずのがんの専門医であっても、患者の臨終に立ち会うとは限らなくなっている。私自身もがんの「治療」が専門であって、終末期医療は得意な分野ではない。だが私は「専門家」である緩和ケア科の先生たちからアドバイスを受けながら、自分で患者の死を「診届ける」ようにしている。

患者が夜中に亡くなる時も、私は病院に出向いて家族にあいさつをし、もう1度説明をし、お見送りをする。がんの専門医の中でも、そこまですべきかどうかについては見解が分かれる。そんなことは意味がない、当直に事務手続きをしてもらえば十分だ、という同僚も多い。

どちらが正しいか議論しても仕方ない

どちらが正しいかなんて議論をしても仕方がないので、私は個人的に自分のやり方を続けてきた。「あいつは好きで、いわば自分の意思で、夜中に看取りに出ていくのだ」ならいいだろう。

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ところが、最近になって、「働き方改革」によって自分の意思であっても「やらないように」という圧力がかかってきた。夜間休日に「出勤」して死亡患者の看取りや家族ケアなどをするなんて「余計なこと」はしないように、というお達しが出た。

ある大病院では「(予想外の)患者急変の場合はともかく、末期患者死亡の際に担当医が夜中に出てくるなどというようなことはしないように」と通知されたそうだ。

私は30年以上にわたり、自分の患者が息を引き取った時には夜中でも明け方でも駆けつけていたが、これは「無駄なこと」だったのだろうか。それが「無駄」というのなら、結局患者は死んでしまったのだから、治療も全部「無駄」だったのではないか。

「死ぬこと」を外して、「全人的医療」もない。私はその場にいることは、私自身の任務だと思う。病院の管理者や厚労省が不賛成であろうと、気にしない。

里見 清一 医師

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さとみ せいいち / Seiichi Satomi

本名・國頭英夫。1961(昭和36)年鳥取県生まれ。1986年東京大学医学部卒業。国立がんセンター中央病院内科などを経て日本赤十字社医療センター化学療法科部長。杏林大学客員教授。著書に『死にゆく患者(ひと)と、どう話すか』『医学の勝利が国家を滅ぼす』『医師の一分』など。

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