平成の「節約セオリー」がもはや通用しないワケ "モノ"を節約してもどうにもならない

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では、見直すべき固定費はどうだろう。

例えば家賃。シングルで働いている人たちが口々に言うのは、「駅に近い(または職場に近い)から引っ越したくない」という言葉だ。移動時間はコストである、というのは今どきらしい考え方だ。駅近物件には女性の場合は防犯上の理由もあるだろう。

となれば、やはり家賃を下げるために駅から遠くへというわけにはいかない。職住接近を好む傾向は共働き家庭にも共通で(保育園のお迎え都合などもある)、田舎に引っ越せば住居費は安くなるといっても、その選択はしにくいのだ。

次に、通信費だが、たしかに改善の余地があるように思える。スマホにネット、ほかにもWi-Fiを別に契約している例もある。プランの見直しやWi-Fiの解約をしてもいいのではと思うが、よく話を聞くとできない理由が見えてきた。

ニュースにしろエンタメにしろ、もはやTVでは視聴しない時代だ。ドラマも映画も、ほととんどネット。スマホやタブレットであらゆる動画を見る以上、ギガが足りないというのは生活の質に関わる大問題なのだ。

テレビで見ればかからないお金だが、家にもいないし、そういう時代ではなくなった。それに、インスタグラムやツイッターなどのソーシャル支出は削れない。これも一種の「つながりコスト」といっていい。

通信費については、ITリテラシーが高ければ、格安スマホやモバイルWi-Fiのプランの組み合わせで圧縮できる方法もあるだろうが、皆が最新のプランを比較検討できるスキルはない。アドバイスする側もそれに詳しいFPばかりではない。誰もが節約したいと思っているが、それでネットに制限がかかるのは耐えられないだろう。

このように、平成から令和にかけてお金のかかりどころは大きく変化している。「モノ消費からコト消費へ」とはよく言われるが、コト=体験という文脈で語られるのとは微妙に違う。

コトというと、自分が能動的に選択できそうだが、他者と一緒に行動する「つながりコスト」や「ソーシャル支出」は、なかなか自分ではコントロールできない。減らしたくても、それを阻む心理があるからだ。「付き合いが悪いと言われたくない」「年相応に稼いでいると思われたい(から、多めに払う)」、そういう第三者からの評価を気にするあまり、それを節約しようとは考えられない。

〇〇費を削る、という発想はやめよう

つまり、単純に食費や交際費を削りましょう、家賃の安い住居に引っ越しましょう、通信費のプランも変えましょうというアドバイスには、現実味がない時代になったということだ。高いなりに理由があり、厄介なことにそれが不可欠な支出になっていたりするのだ。

家計診断の際、「住居費は〇%」「食費は〇%」という目安を知りたがる人は多いが、その発想自体がナンセンスになりつつある。

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