つくば市の発展に筑波大医学部が関係する理由

人材育成の東西格差は当面是正されそうにない

鹿児島県内の居酒屋では、現在でも「サッポロビールは鹿児島人がつくった」という地域限定のキャッチコピーを見かけます。サッポロビールの売り上げは、鹿児島県内で増えます。

北海道は薩摩肝煎りの場所でした。北海道大学の前身である札幌農学校は、1875年(明治8年)に東京の芝増上寺の敷地内にあった「開拓使仮学校」を、札幌に移転させ、「札幌学校」(後の札幌農学校)として開設されます。初代校長は調所広丈、薩摩藩士です。農学部を中心として発展しますが、1919年(大正8年)に医学部ができます。人口528万人の北海道が帝国大学を抱え、多くの人材を輩出します。

このように考えると、戦前までに旧幕府側の支配地に医学部ができたのは、新潟、千葉、仙台の3か所だけです。その数は九州と同じです。

戊辰戦争の影響は、これだけではありませんでした。東日本の県と比べて、西日本の県が小さいことも東西格差を生み出しました。

2015年の国勢調査によれば、人口200万人以上の県は、全国で17ありますが、近畿地方以西は大阪、兵庫、福岡、広島、京都の5県だけです。一方、人口100万人以下の県は9つありますが、東日本は山梨だけです。

勝者は独立を維持、敗者は周辺藩と合併

どうして、こんなことになるのでしょうか。これも戊辰戦争で西国雄藩を中心とする官軍が勝ったからです。勝者は、そのまま独立を維持し、敗者は周辺の藩と合併させられて、一つの県になりました。

たとえば、鹿児島県は旧薩摩藩(島津家)だけで構成されています。高知県は旧土佐藩(山内家)、徳島県は旧阿波徳島藩(蜂須賀家)も同様です。東日本にも、旧仙台藩(伊達家)だけで構成される宮城県など例外もありますが、基本的に多くの藩が合併しています。

その典型が福島県です。そもそも、福島県は浜通り、中通り、会津という、気候も風土もまったく異なる3つの地域が合併してできた県です。幕末には11の藩が存在しました。最大の藩は会津藩28万石です。戊辰戦争の後は、板倉藩3万石の城下町であった福島に中心を移します。従来、新潟と交流が多かった会津、仙台との交流が多かった相馬地方などと合併したのですから、いまだに県としての一体感がありません。

このことが、医師不足と関係するのは、高度成長期の1973年、第2次田中内閣のもとで「1県1医大構想」が閣議決定され、1973年から1979年にかけて、全国に16の国立大学医学部が設置されたからです。

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