つくば市の発展に筑波大医学部が関係する理由 人材育成の東西格差は当面是正されそうにない

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医学部を誘致すると、医師が増えるだけでなく、さまざまな面で地域振興に貢献します。つくば市は典型例といえますが、医学部誘致が都市を発展させたのは、つくば市に限った話ではありません。古くから医学校・医学部の存在は都市の発展と密接に関係してきました。

極論すれば、明治から戦前にかけて、医学校・医学部の有無が都市の発展を規定したといっていいかもしれません。

それは当時の高等教育の中心が医学だったからです。地域力は畢竟、人材力。人材を育てるのは高等教育です。

わが国で近代教育が始まるのは幕末です。当時の学問の中心は蘭学でした 。そして、蘭学の中心は医学でした。福沢諭吉は大阪の適塾に学びました。師の緒方洪庵が医師だったことなどが、その象徴です。

幕末、多くの藩が藩校を設け、蘭学を取り入れました。戊辰戦争で勝利した薩長を中心とした西日本では藩校が母体となって、現在の高等教育機関ができあがりました。

東京大学は江戸幕府の昌平坂学問所、開成所、医学所、京都大学は江戸幕府が長崎に開設した長崎養生所、九州大学は福岡藩の賛生館(医学教育を行う藩校)が前身です。

明治から戦前にかけてできあがった大学の序列

大学の序列は、明治から戦前にかけてでき上がりました。

このとき、西日本の藩校は生き残り、東日本は潰れていきます。ウィキペディアの「藩校」を調べると、幕末に九州の32藩、中国地方の22藩が藩校を持っていたことがわかります。現在、九州では鹿児島大学、熊本大学や修猷館高校(福岡)、明善高校(久留米)などの藩校の流れを汲む9つの学校が残っています。中国地方では、岡山大学、修道高校(広島)など7校が残っています。

一方、東北地方では28藩に藩校がありましたが、その後継が残っているのは東北大学(仙台藩)など4校、関東地方に至っては51藩のうちわずかに2校です。

東京に乗り込んだ薩長新政府にとって、周囲は敵ばかりだったのでしょう。城を壊し、幹部養成機関である藩校を潰したのです。

この結果、明治期の高等教育機関は西高東低という形で偏在するようになりました。戦前に設立された官立医学部13校のうち、8校は名古屋以西に位置しました。九州だけで3つです。一方、東日本には北海道、仙台、新潟、千葉、東京の4カ所しか存在しませんでした。

私は、東日本の医学部の中で、東京と札幌は分けて考えています。東京は、新政府のお膝元です。また、新しい首都です。当然、集中的に投資したでしょう。

注目すべきは札幌です。知人の島津義秀氏は「鹿児島人にとって、札幌には親近感があります。我々の先人たちが開発したのですから」と言います。島津氏は、戦国時代鬼島津と恐れられた島津義弘候を始祖とする加治木島津家の当主です。

明治時代、北海道の開拓を仕切ったのは旧薩摩藩出身者でした。その頂点に立ったのが、第2代総理大臣となる黒田清隆です。1870年(明治3年)から1882年(明治15年)まで北海道の開拓使(北海道開拓のための官庁)の次官・長官を務めます。

現在も札幌を代表する企業であるサッポロビールは、1876年(明治9年)に開拓使が設立した「開拓使麦酒醸造所」が始まりです。

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