大学行かずポップコーン協会作った21歳起業家 カネ稼ぎにない幸せ見つけた僕のサードドア
そのとき、思いました。「これだ。この歴史年表に載るような人間になりたい!」。年表に載ればみんなが見てくれるし、いろんな人に自分が生きたことを知ってもらえる。なぜ自分は生きているんだろうという問いから、僕がはじめて生み出した解は「生きている証しを残したい」だったんです。
これは、『サードドア』の中で、アレックスが当初、ビル・ゲイツやスピルバーグのような偉大な成功者を理想像として目指した現象と重なります。ところがその後、「こうなりたい」という僕の理想は、さまざまな体験を経て、ビーイングの状態を求める方向へと変わってゆきました。
高校3年の終わりに出場したビジネスコンテストをきっかけに、友達と起業しました。コンテストでは優勝した自転車のシェアリングサービスだったのですが、これが失敗に終わったんです。
もともと僕は教育分野に関心があったのですが、このときはとにかく「お金を稼ぎたい」と考えていました。当時、孫正義さんが、若者を発掘・育成するプロジェクトとして「孫正義育英財団」を設立、1期生を募集されているのを見たことがきっかけです。
そうか、まずは教育とは無関係の分野からでも、孫さんのようにビジネスでキャッシュフローを回すことができれば、こうやって教育の領域に対してインパクトのある携わり方ができるんだ、そう考えたんですね。
それでとにかく会社を大きくしてたくさん稼ごうと考えたのですが、現実にはうまくお金は回らず、チームもうまくいかなくなって、人が離れていってしまいました。追い求めたのは従来の成功の姿でしたが、そこに自分はいませんでした。
地域活性化活動に取り組んだ高校生時代
どうして教育に関心を持ったかというと、高校生時代に、地元の長野県で地域活性化活動のための学生団体を立ち上げたのですが、そのときの体験があったからです。
地方衰退は、先進国の中でも日本がトップランナーとして直面していることで、とても大きな社会課題です。それを、行政や企業や社会人ではなく、「高校生から世の中を変えていく」という視点で取り組んでみようという意図で活動を始めました。
県内10校の高校から30人ほどのメンバーが集まって立ち上げたのですが、みんな高校3年生で、進路選択という岐路に立たされている時期でした。高校が違うので、進学したり就職したり進路はばらばらでしたが、一緒に活動した結果、みんな、それぞれの意識がはっきりと変化したんです。
それまでは、なんとなく勉強しておきたい、なんとなく自分の就職に有利そうだという理由で進路を考えていた子たちがほとんどでした。ところが、地域活性化に携わることの意義を感じたことで、「このために学問を突き詰めたい」「こういう事業をやっている会社だから働きたい」というふうに、進学も就職もより内発的な動機に変わり、進路選択が明確になっていったのです。
この現象に僕は衝撃を受けました。こういった課題は、うまく昇華することができれば学びの材料になるんだということを発見したわけです。座学だけが学びじゃないんだと。そこから教育というものを意識し始めました。みんなの人生を変えうるインパクトがあると感じたんです。
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