大学行かずポップコーン協会作った21歳起業家 カネ稼ぎにない幸せ見つけた僕のサードドア
そう考えるようになったのは、小さい頃からいじめを受け続けて、暗い子ども時代を過ごしていたからだと思います。もちろん振り返ってみれば、そういう経験が今の自分を作っていることがわかるのですが、当時はつらかった。みんなが普通にいる場所にはなじめない自分というものをずっと感じていたんですね。
だから、みんなと違う選択肢を選ぶということに対してあまり恐怖はなかったし、生きるために自然に選んできたところもあります。
『サードドア』には、みんなの並ぶファーストドア、VIP専用のセカンドドア、誰も教えてくれないサードドアという3つのドアが書かれていますね。この枠組み自体を覆すような意見になってしまいますが、僕はなにも3番目のドアでなくてもいいと思っているんです。
自分がいちばん自分らしくいられる場所、そのドアを見つけるまではとにかくノックし続けるほうがいい。それは必ずしもサードドアではなく、もしかしたらフォースドア、フィフスドアかもしれません。
これは「易きに流れる」という感覚とは違います。自分がいちばん好きな自分でいられる状態になると、何も意識しなくても熱中してそれをやり続けられる、いわゆるフロー状態に入っていきます。
そういう場所を見つけることを諦めてほしくないという考えです。そして、一生かけても追い続けるべきものだとも思っています。
定量的な成功より、まずはフロー状態
僕の中ではまだ「成功とはなんだろう?」という問いがあります。定量的に「ここまで到達したら成功」というゴールラインのことなのか、それとも「熱中してフロー状態になれた」というビーイングの状態のことなのか?
でも恐らく、まずは自分がいちばん好きな自分でいられる、フロー状態になれる場所を見つけることが必要だと思います。僕の人生のミッションは「社会のワクワクの総量を増やしたい」ということです。これは定量的にゴールを定めたものではなく、あえて定性的な、ビーイングに近い成功のイメージを掲げたものです。
これまでいろいろな失敗や無力感を味わってきましたが、その中で行き着いた答えの1つが、「定量的なものを成功と考えて、それをゴールに定めて進んでいくと、不幸になる」ということだったからです。
まず最初に無力感を味わったのは、小学生時代でした。学校でうまくなじめなかった僕は、なんとかしてみんなと仲良くなろうと、もがいていました。そこに自分にとっての明確な理想像があったからです。
居場所が見つけられない日々のなかで、なぜ自分は生きているんだろう、自分はここにいていいのかな、そういうことをずっと思い悩むようになりました。そんなある日、たまたまクラスに回ってきた卒業アルバムを目にして、その裏表紙に掲載されている歴史年表に注目したんです。「羽生結弦」「iPS細胞」「はやぶさ」など平成に入ってからの重要な出来事や人物が記されていました。
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