多くの人にとって心地よいものであろう美は、人を殺すこともある。彫刻家にして詩人、高村光太郎の戦争賛美詩「必死の時」は、死地に赴く若人の背を押した。そして、スタジオジブリのアニメ『風立ちぬ』には戦争賛美詩よりも問題があると言われたら、驚かずにいられるだろうか。『危険な「美学」』を書いた成城大学の津上英輔教授に聞いた。
「美しさ」に潜む危険
──美学とはどんな学問ですか。
美とは何か、そして芸術とは何かを考える学問です。私は美を捉える感性の働きを重視しています。「切ない」という言葉の意味の変遷を例にしましょう。もとは「出口がない」という物理的状況を表したのが、人の感情に転移して鬱々とした気分を意味するようになり、さらに現代ではプラスの意味に使われる。これは昔の辞書やネットでの用法で検証できます。客観的なデータに基づいて、人の感性を解明できるのです。
──どう社会の役に立ちますか。
2000年ごろにノスタルジアという言葉の研究をし、語源的には帰郷痛=病気が「懐かしさ」という美に類するものに転化したのを知ったときから、美の内包する負の面を意識するようになった。例えば、対峙する軍隊は互いに敵国の懐かしい歌を大音量で流すことがあります。よき時代を思い出させ兵士の戦意をそぐのが目的です。この場合、歌自体が悪いわけではなく、政治的に利用されている。
研究を進めるうち、美に類するもの自体が悪い場合もあると思うようになりました。政治的利用と違い、その危うさは美学的見地からじゃないと警告できないと思います。人が美の危険に気づいて自分の行動を律し、他人の行動を評価することにつながれば、美学が社会の役に立ったといえるでしょう。
──危険その1が「美の眩惑(げんわく)作用」。
西洋の3大価値、真善美は今も生きていて、それぞれ知性、理性、感性に置換できます。美は、真、善と同列の独立の位置を与えられている。そのため、真や善とは関係なく、美だけを追求しても構わないという考えも可能で、実際に耽美主義にはそういった傾向がある。美だけを追求すると、人は美に目を奪われて、周囲の偽、悪が見えなくなります。
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