そんな頃に、原さんはスノーボードに出会った。
昭和の終わり頃は現在よりも、ずっとスキーを楽しむ人が多かった。1987年に公開された『私をスキーに連れてって』は大ヒットして、若者たちはこぞってスキーを滑りに行っていた。
原さんは、子供ながらスキーに憧れを思っていた。原さんが大人になった頃、バブル経済が終わり、スキー文化が下火になってきた。ただ、その代わりにスノーボードが入ってきた。
「スノーボードのビデオを見て完全に火がつきました。会社には『冬山に行きたいから、やめさせてくれ』って言って退社しました。それでその足で、板とスノーウェアだけ持って、東北に行きました」
今のようにインターネットで調べることはできないから、とにかく現地に行って住み込みができる場所を探した。
何とか、岩手のとあるペンションにたどり着いた。
スノーボードざんまいの岩手生活
「ペンションに住み込みで働かせてもらって、空いている時間はひたすらスノーボードをしていました。
岩手でもいっぱい仲間ができました。もちろん同い年のやつらもいたし、新しい文化を面白がってる大人もいたし、海外から来てる人もいました。すごい触発されました。東京では得られない刺激を受けましたね。1人で行ったのがよかったんだと思います」
冬はスノーボードざんまいで過ごし、シーズンが終わったらひたすら働いてお金を貯めた。
「冬以外は、トラックの運転手をしました。昔、シルベスター・スタローンの『オーバー・ザ・トップ』という腕相撲をテーマにした映画があったんですけど、主人公はトラック運転手で普段コンボイに乗ってるんですよ。それに憧れました。トラック運転手は、自由ではないけど、1人でなんでも決められてよかったですね。
昔からAMラジオが好きだったんで、ずっとかけっぱなしで。昔から文字を読むのが苦手で、ラジオがいちばんの情報源でした」
18歳からスノーボードを始め、24歳まで毎年滑りに行った。住み込みをしたのは最初の2年くらいで、それ以降はアパートを借りて生活をしつつスノーボードを滑った。
スノーボードの人気はだんだん上がり、ウィンタースポーツ商品を扱う店はずいぶん儲かっていたという。
「やっぱり今よりは景気よかったんでしょうね。みんな毎年のように板もウェアも買い替えてたし。ちょっと頑張って働いたら、当たり前に自動車買ってたし。贅沢してるって感覚はなかったですね」
1998年からスノーボードは冬季オリンピック競技に選ばれた。ただし原さんはあまりうれしいとは思わなかった。
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