斜陽の「銭湯」で大胆に集客する44歳の経営手腕 外の世界で別の仕事にも就き、家業に戻った

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「僕は、人気に陰りのあった冬季オリンピックが、はやっているスノーボードにすり寄ってきた、という印象を持ちました。それなのに、服装の着こなしがダメだ、態度が悪い、って選手をまるで犯罪者みたいに叩いたりするんですよね。そっちが寄ってきたくせに、って思いました。

ただスノーボード側も人気が落ちてくると、だんだんオリンピックにもたれかかるようになっていきました。この業界もつまんなくなったな……と思いました。

一度スノーボードから離れて、腰を据えて仕事をしてみようかなと思いました」

そこで大型免許を取り、トラックの運転手として全国を回った。何週間も家に帰れなかったり、満足に寝れなかったりした時もあったが、仕事は楽しかった。

「手を借りたい」、家業を手伝うことに

「その頃からうちの親が歳を取ってきたこともあって、『手を借りたい』って言われました。はじめはほかの仕事をしながら手伝いました。

銭湯のお客さんは、子供の頃に比べてずいぶん減っていました。でも一発逆転を考えるのではなく、当たり前のことをきちんとやろうと思いました。まずは徹底的に掃除をしました」

原さんが生まれる前、自宅風呂の普及率が低かった時代は、銭湯は殿様商売だった。家に風呂がないのだから、銭湯に行くしかない。

しかし原さんが物心がついた頃には、自宅風呂の割合はかなり上がっていた。

「本当はその段階で手を打たなきゃいけなかったんだと思います。家にお風呂があっても、月に1回、週に1回、来たくなる銭湯にしておかないといけなかったんですね。

お客さんが減っていくことを、ただただ嘆いていても仕方がないんです。もちろん助成金はとても大事ですが、それに頼ってしまうとよくない。助成金なんて、いつ打ち切られるかわかりません。基本的には自分たちの努力で稼いでいかないといけません」

30代後半から銭湯1本で働き始めた。

日曜日に、朝風呂を始めることにした。チラシをまいただけでお客さんは来てくれた。ただそれを持続すること、そしてさらに拡大していくことは想像以上に難しかった。

「アイデアはあったんですけど、時間や気力を確保することが難しく、なかなか実行できませんでした。数年間はなんとか営業しているだけという日々が続きました。

いっそこのまま銭湯はスパッとやめて、売ってしまおうかと考えていました。そのお金で両親にはゆっくり過ごしてもらって、自分はほかの仕事をしようかと思いました」

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