ところが、MMTの説明によれば、税金は政府支出の原資ではない。これでは、税金が社会に役立つ何かに使われているという想像力がかき立てられず、人々は高い納税意識を持ち続けられないのではないかというのである。
『MMT現代貨幣理論入門』の最終節に当たる第10章第6節には、まさしくこうした問題認識に通じる「人々の直感は、『税金で支出を賄う』というメタファーを好む」(同書521ページ)という表現があり、以下のように続いている。
他方で、同書第5章第3節のコラムでは、「租税を提供されるサービスに対する対価だと見なし始めると、人々は自身の支払いが『公平』なのか計算しようとする」(同283ページ)とも述べられている。そして、私益の論理を前提とした「税金が支出を賄う」という見方が1970年代以降のアメリカで「地方分権」を後押しし、地域間格差の拡大につながったとされている。
必要なのは「正しい貨幣観」に基づく発想の転換
「税金が財源」という見方は政府を家計や企業と同一視することにほかならず、それゆえ私益の論理と結びつきやすいという側面がある。MMTの貨幣観に基づいて、民主主義に基づく政府や通貨制度が公益のために果たしうる積極的な役割を認め、それらへのいわば信任投票として税金を理解する――そうした発想の転換が求められていることを、同書の記述は示唆しているのではないだろうか。
そして、このテーマはMMT受容以前の問題として、第2次世界大戦を経て政府あるいは国家の存在を否定的にとらえる風潮が根強く残り、それが財政法(赤字国債や財政ファイナンスの原則禁止)という形で現在の緊縮財政にも影を落としているこの日本において、とりわけ重要な意味を持つように筆者には思われる。
『MMT現代貨幣理論入門』の示唆をふまえれば、「民主的なプロセスの下で、政府が持つ無限の支出能力を活用してデフレ脱却という公益を成し遂げる」という新たな「公益民主主義の物語」が必要なのかもしれない。
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