「あらゆることから何かを学ぶ」東大生の頭の中 「自分の意見」をつくることはこんなに大切だ

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先に答えを言ってしまうと、「なるほど」ではなく「そうそう」と思って情報を摂取している人のほうが頭がよくなり、得た情報を次に生かせます

僕は東大生の勉強習慣や読書習慣について調べているのですが、その調査の中でわかったことは、東大生は本を「なるほど!」と考えながら読んでいることはほとんどないということです。

東大生の読書感想文を読んだり読んだ本の感想を聞いたりすると、「新しい知識が得られてよかった」という感想を持つ人は非常に少ないのです。

ではどういう感想が多いのかというと、「そうそう!」「やっぱりそうだよな!」です。新しい知識を得るのではなく、自分の頭で考えていたことを確認する読み方をしている人が多いのです。

「今まで自分が考えていたことが言語化されていて面白かった」とか「確かにこの本に書いてあるとおりだと思った」とか、そういう「今までの知識/考えを再確認した」という感想を持つ人が大半だったのです。

「持っている情報量」以上に大切なことがある

この話をすると、みなさんの中にはこう思った人もいるかもしれません。

「それって、もともと知っていることが多いから『そうそう!』って思えるんじゃないの?」「持っている情報量が少ない場合には『なるほど!』って思うんじゃないの?」

もっともな指摘だと思うのですが、しかし僕は「情報量」がこの差を生んでいるとは思いません

確かに最低限の知識がなければ「なるほど!」になってしまうとは思うのですが、しかし知識があるからといって「そうそう!」と読めるかというと、そうではないんです。

似たような本を読んだことがあっても、言い方や切り口などが違うために、「なるほど!」とまったく新しい知識として受容してしまう人も多いと思います。

僕自身も、昔はすべての本を「なるほど!」と読んでいました。その本の内容が今まで自分が考えてきたことや学んだこととどうつながるのかは考えず、ただ受け入れてしまっていたように感じます。

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