推薦入試の2つの意味からすると、矛盾点がある
ボクからすると、こういった特殊な人材を採用する推薦入試の意味は2つあるように思います。
・成果を上げている学生を受験戦争から守ることで、高校3年生の時期を無駄にさせないこと。
・テスト以外の評価方法によって、採用する才能の幅・多様性を増やすこと。
しかし、残念ながら日本においては推薦入試(特にAO入試)はうまくいっているとは言えません。ボク自身がAO入試で慶応SFCに入る人間なので、この事実は残念で仕方がないことなのですが、テスト以外の評価方法で能力を客観的に評価する手段がまったく確立されていないため、どうしても一定の割合で(しかもかなり高い割合で)、最初に意図したほどではない人材を入学させてしまうものです。
ボクもそんな人材にならないように頑張らないといけないのですが、仮にも“偏差値”日本一の東京大学が、そんなシステムをそのまま導入することはないよなぁ……と思っていたら、案の定、まったく同じにはしませんでしたね。
実績や外国語能力で書類審査と面接審査を行うのは慶応SFCと同じですが、正式な合格が決まるのはセンター試験の成績を送付してから。学力も必要であるということを明確に示したのです。しかし、よく考えてみるといろいろな矛盾点もあるような気がしてきました。
まずは「結局、試験なの?」と思わせてしまうところ。いくら実績があっても、センターで劣っていればダメなのではないかという疑念が生じてしまうのは確実でしょう。そもそも、学力が十分な生徒にとっては、客観的指標のないAO入試は逆にリスクになってしまい、一般入試を受験したほうが安全だということになることも多いでしょう。実際、ボクが通う灘高校も(先日卒業しました)そういう状況になると思います。
次に、センター試験が終わって合否が出るまでに時間がかかるので、「滑り止め」の受験勉強をしないといけないということ。これはAO入試の大きな利点であるギャップタームをほとんどすべて潰してしまっています。実際、ボクが昨年秋に合格してから数カ月にわたるギャップタームで手掛けられた仕事を考えてみると、滑り止めのための勉強という、意欲のまったくわかないことをさせてしまうこの制度は、はたしていかがなものかという気がしてきます。
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