50年強「ミシュラン三つ星」取り続ける店の哲学

ポール・ボキューズの総料理に聞く

当時のポール・ボキューズは、はっきりいって軍隊みたいに厳しかった。そこで、厳しさのなかであきらめずに物事に立ち向かうという精神性を学びました。経験を積むにつれ、当時、調理の細かい技術においてはトップだったタイユヴァンでテクニックを学びたいと思ったのです。そして実際にそこで様々な技術を身につけました。

リヨンにあるポール・ボキューズの外観は、まるでお菓子の家のよう。付近のランドマークになっている(写真:ヒトサラ編集部提供)

――学んで、いろいろとキャリアを積んで、またポール・ボキューズに戻った。

タイユヴァンの後、シェフとして働いていたり、首相官邸付きの料理人になったりとキャリアを積んでいました。あるとき、ムッシュポール自身が私のパリでの評価を聞きつけて、自ら電話をくださったのです。「スーシェフのポジションを君のためにあけてある。僕は君が欲しい」。そう言ってくださいました。憧れのシェフにそう言われて、心から嬉しかったことを覚えています。もちろん、行かない理由はないですよね。それからずっとこの店で働いています。

「お客様の思い出に寄り添う」ことが大事

――時代が変わっても、50年前とメニューをあえて変えない、ポール・ボキューズ氏は徹底していました。その方針は、クリストフさんも引き続き同じでしょうか?

そうですね。変わらないメニューと、一から新しくつくるメニューの2通りあります。新しくつくるメニューは、私一人で決めるのではなく。ほかのシェフと相談しながら、「ムッシュポールはこの一皿が好きか」ということを基準にしてつくっています。スペシャリテの『スープ・オ・トリュフ・ノワール・ヴェ・ジェ・ウ』、『ジャガイモをウロコに見立てたひめじのポワレ』『すずきのパイ包み焼き』などのスペシャリテはレシピを一切変えていません。

スペシャリテ2:「オマール海老のサラダ仕立て ア・ラ・フランセーズ」。さっとゆでたオマール海老に、オーロラソースを華やかに盛り付けて。素材のおいしさ、風味を生かした一品

――時代が変わっていく一方、50年前のレシピを一切変えない、というのもすごいですね。

長い間メニューを一切変えないレストラン、というのは、もしかしたら私たちだけかもしれません。でも、この変わらないメニューを楽しみにされているお客様が大勢いらっしゃるのです。例えば、私たちのレストランで結婚式をされた人が、結婚記念日を祝いに毎年いらっしゃいます。そうしていつも同じメニューを召し上がる。お客様の思い出に寄り添う。そこが大事なんです。

ポール・ボキューズ/1926年リヨン郊外コロンジュ・オ・モン・ドール村生まれ。「ラ・ピラミッド」フェルナン・ポワン氏の元で修業し、1957年生家のレストラン「ポール・ボキューズ」を継ぐ。1961年M.O.F.受章。1965年三ツ星を獲得。以降、財団、学校、ホテル、料理コンクールなどを次々と設立し、現代フランス料理の発展に全精力を傾けた(写真:ヒトサラ編集部提供)

――しかし、ポール・ボキューズ氏は、1970年、それまで進化していなかった古いフランス料理の世界に「ヌーベル・キュイジーヌ」という新風を巻き起こし、変化させた改革者でした。

ムッシュボキューズの考えがわかるエピソードを紹介しましょう。ムッシュは自身のレストランをオープン以降世界一周を10回近くしています。つまり、あらゆるものを食べつくしている。世界中の星付きシェフたちが、日本をはじめ、世界を飛び回り新しい発見をしてメニューに取り入れているなか、留守を預かっていた私が「ムッシュボール、いかがでしたか?」と聞いても、「楽しかった。でも私自身は何も変えないよ」と答えていました。ムッシュの言葉『私にとっての変化は、なにも変えないことだ』それがすべてです。

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