ブランドと消費者の「関係」が逆転した必然 ネット社会による相互作用がすべてを変えた

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深谷:ご指摘のとおり、次々消えていっています。ブランドはどこにあるかと言えば、基本、ブランドは人の気持ちのなかにしか存在しないんですね。ですから、イメージなり形なり言葉なり、そのブランドのエッセンスを人々の気持ちのなかにしっかりと刷り込ませなければ成立しません。

1980年代から1990年代には、企業はかなり一生懸命、自分たちの会社のアイデンティティーは何か、この商品を一言で言うなら何かと、考えに考えて、さまざまな要素を整理して意味の構造化をして、そこから「これだ」というエッセンスを搾り出して、そのエッセンスを大事にしながらブランドコミュニケーションを行っていました。

インターネットの普及で関係性に変化

深谷:ブランドに関して僕なりに整理してみると、ブランドは「強みをしるしに込めること」、ブランディングは「しるしのもとに行動すること」「強みを魅力にし続けること」、その成果として「ならでは」をつくることであると言えます。

それがいまどうなっているかというと、ブランド自体が尖った強固なアイデンティティーをもっていると、消費者のコミュニティーに入っていけないので、むしろ邪魔なんですね。この急激な変化は、双方向性をもつインターネットの普及に伴うメディア環境の変化に強く影響を受けています。

消費者にとっては扱いやすくて仲間に入れてもらいやすいそこそこの存在感で、友達になったり離れたりしやすい状態でいないといけない。ブランドと消費者の関係はもうまったく変わってしまいました。

岡本:それは、ある意味ブランドというものがつくりあげていた支配の構造が、解体され、ついに逆転したようにも見えます。

ブランドはもともとは自分が頂点にいて、多数のファンをある意味上から見下ろして、自らの思想(ブランド・エッセンス)がきちんと伝わっているか監視し、その行動を操っていたように見えます。この構造はミシェル・フーコーが近代の監視社会のモデルとして提示した「パノプティコン」になぞらえることができそうです。

パノプティコンとは直訳すると「一望監視施設」のことで、中央に監視塔があってその回りに円環状につくられた建物のことです。

もとは刑務所の建築様式として、功利主義の創始者であるジェレミ・ベンサム(1748~1832年)が考案したものですが、その様式をフーコーが監視社会のモデルとして採用して有名になりました。

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