旧共産圏の撮影に圧倒的な情熱注ぐ彼女の稼業

会社で働きながら自腹で海外に通い詰める

「母親はちゃくちゃくと手堅い学歴を積んで、大手企業に入ってほしいと望んでいました。母親自身、本当はバリキャリで働きたかった人なので、夢を投影されていたのかもしれません」

高校は女子校の進学校に入学した。同級生にはお嬢様っぽい人たちが多かった。

「正直、高校時代ってあんまり記憶がないんですよね。いちばん楽しかった記憶が学校の中庭で干し柿を作ったことくらいなんですよ。

あんまりにもリアルがつまらなくて、インターネットに助けを求めてました。ネットで知り合った人の所へ泊まりにいく計画を立てて、それが親にばれてめちゃくちゃ怒られたこともありました。

学校にも福島にも閉塞感を感じていました。こんな場所にいたら死んでしまうと思って、卒業したら東京へ進学しようと考えるようになりました」

父親は「お前のやりたいことは福島にないから東京へ行ったほうがいい。そして東京へ行ったらもう帰ってくるな」と言った。

卒業後は、東京のデザイン系の学校へ進学した。学校ではグラフィックデザインを学んだ。最初は学内にさまざまな人種がいることにビックリして、

「この人たちとやっていける気がしない」

と思い、親に泣きついたりした。でも半年もたったら慣れてしまった。そのうちオタク的な仲のいい友達が何人もできた。

手に職をつけるつもりで広告会社に入社

「広告系の写真の授業があって、カメラに触れる機会がありました。そこでは一眼レフのフィルムカメラを使いました。趣味では、ロモグラフィーのトイカメラで遊んだりもしました。ただ、まだ写真に目覚めてはいませんでした。

相変わらず絵のほうが好きで、卒業後はイラストレーターになりたいと思っていました」

ただ、イラストレーター業界を調べてみると、専業で食べていくのはとても大変だという現実を知った。

それならば、広告制作会社に入社してグラフィックデザインの仕事をし、手に職をつけようと思った。

「チラシ製作、冊子製作、などグラフィックデザインの基礎みたいなのをひたすら作る感じでした。よい上司にも恵まれてそれなりに楽しく過ごしていました。

そんな折に、いとこが自殺して亡くなりました。かなり強い衝撃を受けました。それまでずっと絵を描いてきたんですが、絵を描く気力がなくなってしまったんです」

途方に暮れた日々を過ごしているときに、知り合いがある島の廃墟写真をSNSにアップしていた。その写真がとても慰めになり、星野さんは、自らもその島に行ってみることにした。

次ページズブズブと廃墟と写真にハマっていった
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