旧共産圏の撮影に圧倒的な情熱注ぐ彼女の稼業

会社で働きながら自腹で海外に通い詰める

「とりあえずフィルムの一眼レフカメラと純正50ミリの単焦点レンズをカバンにぶっこんで行きました。そして船で島に上陸したんですけど……そのときの衝撃は忘れられないですね。確かに島は廃墟になっているけど、でも生きていました。それが自分の中にある、『いとこは死んでしまったけど、自分の中で生きている』というのとシンクロしました」

それからはさまざまな廃墟に行き、いとこの面影探しをするようになった。

そのとき限りの遊びで終わると思ったが、ズブズブと廃墟と写真にハマっていった。

「沖縄から北海道まで、たくさんの廃墟に行きましたね。それからレンズにもハマっていきました」

徐々に機材にもこるようになっていく。最初の1年くらいは純正の50ミリ単焦点レンズだけで撮影していたが、純正の24ミリ広角レンズを購入した。

そこからオールドレンズにハマっていき、ロシア製のARSATという魚眼レンズを買った。普通には装着できないため、アダプタをつけてつなげるというかなり変態的な遊びにハマった。

「当時はお給料が安かったので大変でしたね。2010年くらいまではフィルムカメラで撮影していました。そこからデジタルカメラに移行しました。

デジタルカメラはやはり撮り放題なのがいいです。フィルムって高いですから。でも、フィルム撮影を続けたおかげで『命削って写真を撮る』という感覚を身に付けられたのは、それはそれでよかったと思っています」

2社目のブラック企業で精神的にボロボロに

1社目の会社は業績が傾いてきたところで辞めた。2社目も広告制作会社に入社したが、超がつくほどのブラック企業だった。

「広告業界の嫌なところを煮詰めたような会社でした。うつ病、自律神経失調症になりました。最後はボーナスが支給されるタイミングだったのですが社長に、

『ボーナスはこれから頑張る人に与えるものであって、辞める人間にはあげないものだ』

って言われてもらえませんでした。今だったら、絶対に裁判するんですけど、そんなことする気力もありませんでした」

1年半働いて会社を辞めた。とにかく精神的にボロボロになってしまったので、リハビリを兼ねて別業種で働くことにした。歌舞伎町のキャバクラ嬢でホステスとして働いたり、スナックやそば屋でアルバイトしたりした。

「父親は歌舞伎町でホストをやっていましたから、自分も歌舞伎町のキャバクラ嬢になって、血は争えないな、と思いました(笑)。とにかくホステスをしていたときは、さまざまな人たちと話せたのがよかったですね」

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