旧共産圏の撮影に圧倒的な情熱注ぐ彼女の稼業 会社で働きながら自腹で海外に通い詰める

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そして、

「某企業でデザイナーをしながら、ほぼ自腹で海外撮影に行っている」

と聞いてさらに驚いた。厳密に言えば本連載タイトルの「非会社員」とは少し外れてしまうが、彼女のやっていることは会社員ではできない稼ぎ方だ。

星野さんは、なぜ私費を投じてまで旧共産圏へ向かい、廃墟写真を撮るようになったのか? 新宿の喫茶店で話を聞いた。

幼少期は内気な少女だった

星野さんは福島県福島市で生まれた。

父親は会社員、母親は専業主婦という、どこにでもある家庭だった。

「ただ父親は若い頃かなりヤンチャな人生を送っていたみたいです。

若い頃の夢は傭兵部隊に入って各国の戦地で戦いたかったと言ってました。歌舞伎町でホストとして働いていたんですが、母親と出会って一目惚れして結婚。それからサラリーマンになったそうです」

父親はオタク気質であり、娘には小さい頃からゲーム、映画、漫画、軍事関係などを勧めたという。

「2歳の頃に、ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ映画を見せられてました(笑)。そんな父親の影響は大きかったですね」

ただ、星野さんの幼少期はとても内向的な性格だったという。

「人間が苦手であまり友達がいなかったですね。こわいし、なるべく接したくないと思ってました。絵ばっかり描いてる子どもでした。あとは虫とか鳥が好きでした。父親にアカハライモリを2匹買ってもらってからは、爬虫類も好きになりました」

福島市内の小学校に進み、同級生に性格のキツイ友達ができた。

「その子の影響でちゃんとモノが言えるようになりました。小学校時代は『インラインスケート部』をつくるなど、活発に活動していましたね。部と言っても学内でローラーブレードを履いて走るだけなんですけど(笑)。

小学生の頃は勉強が嫌いで、ほとんどなんにもしてなかったですね」

中学生になると「勉強すれば点数が上がる」のが面白くなり、勉学にも励むようになった。いったん卓球部に入ったが、美術部に入り直した。

「美術部はオタクの吹きだまりのような場所でした。そこで同人誌ばかり作っていました。スクウェア(ゲーム会社)のゲーム作品の二次創作を作っていました」

美術科のある高校に進学したかったが、母親に反対されて普通科の高校に進んだ。

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