「機動戦士ガンダム」から40年経て語られる真実 「アジア主義者としての安彦良和」の本質
杉田:『王道の狗』は掲載誌の編集者との関係で、物語を最初からかなり図式的に構築せざるをえなかったそうです。「王道vs覇道」という図式を打ち出しているのも、そのせいだと。安彦さんはそういう図式性に違和感があったようですが。
中島:敵役としても政治家・陸奥宗光というしっかりとした柱がいます。やはりアジア主義的な感覚は、『王道の狗』よりも『虹色のトロツキー』のほうによく表れている。『虹色のトロツキー』では陸軍軍人の辻政信は、かなり混沌として描かれている。恐ろしい男なんだけど、どこか愛嬌もある。
杉田:辻政信は、最初はくだらない、ただの陸軍軍人の石原莞爾シンパ、エピゴーネン(摸倣者)なのかなと思っていた。でも、だんだんギャグマンガみたいなアクティブさが出てきて、でも結果的に辻政信のせいでいちばん多くの人間が死んでいるという、グロテスクな不気味さもあります。
辻は実際に、満洲中の至る所に神出鬼没で存在していたらしい。そういう証言が残っている。今日ここにいたと思ったら、次の日は全然別の場所にいたりして。
「アジア主義」とは
杉田:僕が最初に安彦さんとお会いしたのは、自伝的著作『原点』(岩波書店)の刊行記念の一環で、『週刊読書人』(2017年4月14日号)で対談したときです。そのときの僕は、「アジア主義者としての安彦良和」という視点をあえて強く打ち出そうとした。安彦さんのことを「心優しきアジア主義者」と呼んでみたり。
けれども、そういう「アジア主義者」というレッテルが先にきてしまうと、安彦さんは「それは違う」「僕はそういうんじゃない」とぴしゃりとはねのけるんですね。概念やカテゴリーによって解釈することを突き放す。作中でアジア主義的なモチーフを重視してはいるけれど、安彦さん本人を「アジア主義者」と名指しすることはできない。そういう複雑さを秘めた人だと思います。
中島:実は、それがアジア主義者たちの抱えた本質的な矛盾でもあると思いますね。
杉田:そこはねじれていますね。中島さんは『アジア主義』のなかで、日本近代史上のさまざまなアジア主義者たちの作品と人生を読み込んで、現代の政治的文脈のなかにアジア主義の命脈を再生させようとしています。『アジア主義』のなかでは、とくに中国文学者の竹内好に対する批判的更新が重要だと感じました。