不登校になった中2帰国子女が抱えた「心の傷」 勉強もノリもついていけず、体重30㎏程に…

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――「ふつうになりたい」という気持ちへの転機が訪れたのはいつでしょうか。

2011年に東日本大震災が起きて、ボランティアを始めたときです。岩手県大槌町へのボランティアツアー参加が契機ですが、最初は親からも反対されました。でも、やりたいことを初めて自分で選んだのが、このときだったんです。

転機になったのは2011年に東日本大震災が起きて、ボランティアを始めたとき(写真:不登校新聞)

実際に行くと、活動を通じて人とコミュニケーションをとることにも慣れましたし、私は日本に地元がなかったから、そういう場所ができた感覚もすごくうれしかった。

大槌町には会社を休んで活動している人、現地でNPOを始めた人など本当にいろんな人がいて、いろんな「ふつう」があることに気がつきました。

ツアーで出会った人たちとも意気投合し、帰ってきてみんなで学生団体を立ちあげました。その団体の活動のなかで、自分なりの社会との関わり方ができるようになっていった気がします。

親から精神的に自立したのも、このあたりの時期だったかなと思います。

くり返し失敗した理由

――現在の仕事に不登校経験は活かされているのでしょうか。

不登校の経験があったから、今の仕事につながっていると思います。ボランティア活動のあとも「ふつうになりたい」のと、やりたいことがあって大手企業に就職しました。

結果的にスキルはつきましたが、うまく自分を表現できなかったなと思います。

きっと「こうしたい」よりも、「こうすべき」を無意識に選んでいたから、苦しかったんですね。

私が思い描いていた「ふつう」は、親の期待や願い、中学校で感じたジェンダーバイアス(社会的・文化的につくられた性差のこと)などからも影響があったと思います。

それがサポート校に通い、ボランティアをしているうちに、自分に合うことや嫌なこと、「ふつう」とはちがう自分にだんだんと気づけるようにもなってきました。

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