このようなご相談をいただき、誤解をされている大人の方々がいるかもしれないため、「夢を持つとはどうあるべきか」ということについて筆者の考えを述べておきます。
やる気になれる要因の1つに「夢を持つ」というのがあります。しかし、この「夢」という言葉はとても曲者(くせもの)で、大人は夢を持つ子どもを、それこそ夢見ているのです。そうするとややこしいことが起こります。
それは、夢を持っていない子に「大丈夫か?」と感じてしまうことです。そして夢を持たせようとあれこれ画策することすらあります。すると、これは強制されて持った「まやかしの夢」であり、本当の夢ではないのです。つまり、夢を言わなければならないから言った夢なのです。こういう背景もあるということを大人は知るべきでしょう。
例えば、家庭が医者一家であった場合、「お前も医者になるんだぞ」ということでレールを敷いていくことがあります。開業医ができれば家業を継いでもらいたいと思うのは当然で、そのような“計画”を作ることはあるでしょう。
しかし、子どもが医者になることを嫌がり、仕方なしに親の言われるまま進んだ場合に、悲劇になる場合があります。そうやって現在、仕方なしに医者をしている方から何通も相談メールをいただき、「自分はやりたくない医者になるように育てられたけど、自分の子どもにはそうさせたくない」という方もいました。
夢は強制して持つのではなく自然発生的に生まれるもの
法学部→弁護士というコースも同様かもしれません。一般に文系であれば法学部、理系であれば医学部が最高位というイメージがあるため、偏差値が高いという理由だけで、選ばれることがあります。この延長で法学部→弁護士コース、医学部コースを選択していくと、先ほどの例のように後悔する場合もあるのです。
本人が希望して行くのであれば、何の問題もありません。小さいときに病気がちで医者に助けられた経験から、自分も人を助けたいから医者になりたいというのは本物の夢です。アレルギー体質であった経験から、薬剤師になりたいというケースもたくさん見てきました。これを夢の原体験と言います。
このような夢の原体験があると、夢への起動力になります。しかし、このような原体験がなくても問題ありません。やがて、自分のやりたいことに出合っていくことが一般的ですから。
以上から、夢というのは強制して持つものではなく、自然と、自発的に生まれてくるものであるということを言いたかったのです。そして、やがて、そのように自然と出てきた夢(○○中学に合格する!ということも夢の1つ)である場合、親としてどのように対応していけばいいでしょうか。
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