想像を絶する「シロアリの女王」の虚しい最期 人間の生死だけが特別なわけじゃない

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しかし働きアリにとって女王アリは単なる産卵マシン。女王アリを連れていくかどうかは働きアリが判断するので、卵を産む能力が衰えたと見なせば、運ばずに容赦なく捨てていく。もう誰も餌を運んでくれず、世話もしてもらえない。古い巣に置き去りにされて最期を迎えます。

──ゾウが死期を察すると、自ら群れを離れ“ゾウの墓場” へ向かうというのも、単なる伝説とか。

弱っていく間に飢えて死ぬか、食われて死ぬか。野生条件で天寿を全うする生き物はいません。シマウマはライオンに襲われ、生きたままハゲタカについばまれる。彼らの世界に老衰という言葉はない。ライオンだって力を失って群れから追い出されると、狩りができず飢えて弱っていく。そばではハイエナやジャッカル、ハゲタカが力尽きるのを待っている。ライオンも食われて死んでいくんです。

人間が特別な存在ということはない

──これまでの著作では、植物や生き物の生存戦略、たくましさを書かれてきました。今回主題をあえて死に振ったのはなぜですか?

去年50歳になって自分の人生を振り返るようになりました。「何で生きてるんだろう」と考えるときがある。死ぬことを考えることが生きることを考えることになるのかな、という感じですね。

本では最初にセミの話を書きました。繁殖行動を終えると、木につかまる力、飛ぶ力を失って地面に落ち、仰向けにひっくり返る。ジジジと鳴きながらただ死を待っている状態。昔はあの木にとまってたな、みたいなことを思ってんのかなと。もちろんそれはないでしょうけど、自分だったらその瞬間どんなことを考えて死を待つんだろう、と思ったのがきっかけです。

──セミの最期から人間の最期に思いが及んだ……。

稲垣 栄洋(いながき ひでひろ)/1968年生まれ。農学博士。専門は雑草生態学。岡山大学大学院農学研究科修了後、農林水産省に入省。静岡県農林技術研究所上席研究員などを経て、現職。著書に『雑草はなぜそこに生えているのか』『たたかう植物』『身近な雑草の愉快な生きかた』ほか多数。(撮影:吉野純治)

そう、人間が特別な存在ってことはないんです。生の仕組みやDNAなんかも同じような構造だし、人間が高等で昆虫が下等、とかではなくて同じ生き物。セミの死と人間の死には直感的につながるものがあって。セミは脳が発達してるわけじゃないんで、仰向けになりながら死ぬの嫌だなとか、空が青いなとか考えてるはずはないんですけど。

人間は生きるとか死ぬとか大騒ぎするけど、自然界では死ぬことは何も特別じゃない。日々淡々と繰り返されていること。

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