福岡の「閑散だった動物園」が復活できた理由

「大牟田市動物園」が教えてくれる本当の幸せ

コンクリート・芝シート・砂など、好きな場所で過ごすモルモットたち。人とふれあうイベントの時は、ここからイベント場所まで橋をかけるが、行くかどうかは各モルモットに任せている。強制的に広場に出さないやり方だ(筆者撮影) 

福岡県の最南端、かつては炭鉱のまちとして栄えた大牟田市。経営難から一時は閉園の危機にあった「大牟田市動物園」が今、全国的に注目を集めている。キーワードは「動物たちの幸せ」。動物もスタッフもイキイキしていると評判だ。

大牟田市動物園は戦前の1941年に開園した。市民に愛され、来園者数は92年度に40万人を超えたが、2004年度には13万人台まで減少。市が閉園を検討する中、存続を求める市民運動が起こり、2006年度に指定管理者制度を導入した。運営が市から民間へとバトンタッチされたのを機に来園者数は増加に転じ、2016年度は25万人を超え開園以来3位を記録。その背景には、園長を務める椎原春一さんの熱い思いがあった。

椎原園長が進めた改革

子どもの頃から動物が好きで、鹿児島大学で生物について学んだ椎原さんは、26歳で飼育員になると、民間動物園の園長などを経て、2006年に転職した。

「民間運営の動物園は自由度が高く、物事をスピーディに進められる一方で、利益優先でお客さんに迎合するあまり、ショーなどで動物が疲弊していくこともあって……。私は大牟田市動物園で、動物に寄り添う飼育をしたいと思ったんです」

幕開けはドタバタだった。2005年12月の議会で指定管理者制度の導入が決まり、2006年4月から始めることになった。「1月に飼育員を募集し、すぐに働ける人を採用した」という。結果として、専門学校の新卒者など、20代の若者ばかり10人が集まった。実は、日本の動物園には法律上の定義がなく、飼育員の資格もない。「動物が好き」という思いで集まった若者たちだった。

椎原春一(しいはら しゅんいち )/鹿児島大学理学部卒業。1987年に飼育員になり、福岡と鹿児島の動物園に勤務。2006年に大牟田市動物園に移り、2007年より園長を務める。同園は2016年「エンリッチメント大賞」に選ばれた(筆者撮影)

最初に掲げたのは”来園者と動物とスタッフの交流”。

飼育員はできるだけ外に出て、来園者と直接話したりガイドしたりする方針を打ち出した。

「来園者に動物のことを知ってほしかったので。市が運営していたとき、飼育員はほぼ50代で、来園者との交流はあまりなかったようです。ですから、若手がどんどん外に出るようになって、園の雰囲気がかなり変わりましたね、とよく言われました」

来園者数は、右肩上がりで増えた。その後、スタッフの発案で、ユニークな企画を次々と行っている。

例えば、「骨好き獣医のホネ骨ガイド」、肉を食べるライオンを間近で見られる「ライオン舎の裏側探検」、50~80代の男女ですぐ満員になった「50歳以上のための一日飼育員体験」など。スタッフたちは自ら楽しみながら、来園者と動物をつなぐガイド役となっている。

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