「絶対に無理よ」
「あなたに東京で暮らせるはずなんかない」
母親はありとあらゆる言葉でYを引き留めようとしたが、Yの決意は揺るがなかった。実家のある街から何百キロも逃げて、縁もゆかりもない東京の片隅に、やっと、自分と息子の、小さな城を見つけた。古くて狭い。けれど、日当たりは抜群にいい。臭くない。
そんな家で迎えた、Yと息子の記念すべき最初の食事は、カップラーメンだった。Yはカレー味、息子はシーフード。それぞれのお気に入りのカップラーメンを、引っ越しの段ボール箱をテーブルにして、食べた。実家の母親が見たら、きっと顔を真っ赤にして怒るだろう。だけど、だからこそ、カップラーメンはYと息子の、最高のごちそうだ。
“私たちはここにいます”
東京に出てきたばかりのYは、初めて会う私に、力を貸してください、と言った。後に聞けば、彼女はそれまでにも、病院や学校、行政など、何カ所も尋ねて歩いていたが、思うような支援が得られなかったり、さらに傷ついたりすることも、決して少なくなかったという。
“それでも、私が何とかしないと”
そのたびにYは、折れそうになる心を、何度も奮い立たせてきた。
思えば、初めて彼女からのメッセージを受け取ったとき、静かで淡々としたメッセージの中に、私は彼女の、こんな叫び声を聞いた気がした。
“私たちはここにいます”
自分たちに目もくれない大勢の人に向かって。自分たちを、見たいようにしか見ようとしない、大勢の人に向かって。人一倍傷つきやすい、ガラスのような心を持った息子を守りながら。自身もまた、今にも崩れそうなほどボロボロになりながら、私たちはここにいます、と、東京の片隅で必死に助けを求める彼女の声が、聞こえてくるような気がした。
私はそんなYの勇敢な決断を、何とか正解にしたい。
さんざん苦しみ、悩んだ末に、自分や、自分の大切な存在の毒となるつながりを断ち切った人が、その先できちんと報われて、幸せになってほしい。自分の下した選択は正解だったのだということを、微塵も疑わずに済む世界であってほしい。
とても一人では抱えられない現実に直面したとき、「ほら見たことか」と後ろ指をさされるのでなく、誰かに助けを求めれば、誰かがその声にきちんと耳を貸してくれる。そんな世界に、自分もまた生きていると、信じたい。だから私は新宿で話したあの日からずっと、Yの決断を、どうにか、正解にしたいと思っているのだ。
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