「臭くない」部屋を求めて東京に来た母子の叫び 実家のある街から何百キロも逃げて

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Yは、日頃めったに笑わない厳格な父と、そんな父や3人の子どもに日々、かいがいしく尽くす母親との間に育った。

「無関心な父親と、過干渉な母親」

両親のことを、Yはそんなふうに表現した。

父は普段、ほとんど子育てに参加しない。にもかかわらず唯一、食事のマナーにだけは異常なほどの厳しさを見せた。何気なく箸を進めていると、突然「なんだその食べ方は!」と雷が落ちる。上の兄と姉に至っては、言葉のみならず、父からずっと体罰を受けてもいた。Yはいつも、それを真横で見ながら育った。

そんな父親と対象的に母親は優しかった。優しすぎて、母のそばでは息ができなかった。過剰なまでの家族への献身はその実、誰のためでもなく、母自身のためのものだったと、Yは今ならわかる。

母は毎晩、何時間も台所に立ち、何種類もの夕飯のおかずを作った。明るい会話、テーブルいっぱいに並べられた料理。家族の食卓は、そういうものでなければならないと思い込んでいるようだった。少食のYには毎回とても負担だったが、母は完食しなければあからさまに悲しみ、時に涙を見せながらこんなふうに言った。

「どうしてYちゃんはママの気持ちをわかってくれないの? ママはこんなに頑張ってるのに」

そんなわけだから、Yにとっての家族の食卓というのは、物心ついた頃から、苦痛以外の何物でもなかった。

親に土下座して、全寮制の高校へ

“早くこの家を出たい。この家はおかしい”

ずっとそう思い続けたYは、中学3年生のある日、大きな決意を固める。両親の前で土下座をして、全寮制の私立高に入学させてくれと頼み込んだのだ。無事、第一志望の高校に入学したYは、寮に入って初めて、心の底から安心して過ごせる毎日を手にした。

気のおけない級友たちとの毎日は、このまま時が止まってほしいと願いたくなるほど楽しかった。しかし3年はあっという間に過ぎ去り、卒業とともにYは、実家から車を少し走らせた場所にある、地元の企業に就職した。大学に行きたくないわけではなかった。しかし経済的にも、家に戻らないためにも、それしか選択肢がなかった。

「それでも、就職してしばらくはうまくいってたんです。少しまぬけで、いじられキャラのYちゃんとして、みんなにかわいがられて。だけど、その頃に友達の紹介で知り合った元夫と付き合うようになって……」

答え合わせをするかのように、一つひとつ思い出しながら、Yは話す。

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