「臭くない」部屋を求めて東京に来た母子の叫び 実家のある街から何百キロも逃げて

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再び始まった、両親との暮らし。不安がないわけではなかったが、自分が子どもだった頃からは随分時間も経っている。両親は孫のことも、かわいがっているように見えた。だからきっと、昔とは違うだろう……Yはそんな、一縷(いちる)の望みにかけた。

そして最初のうちは、確かに変わったように見えた。けれども、やっぱり両親は、かつての両親のままだった。そう気づかされたのは、実家に戻って以来、息子がどんどん、ふさぎがちになっていったからだ。

「息子はもともと人一倍、感覚が敏感な子どもだったんです。病院で、発達に偏りがあるとも言われていました。繊細で、こだわりも強くて、育て方に悩むことはそれまでにも何度もありました。でも、実家に戻るまであんなことはなかった。……ご飯が、食べられなくなってしまったんです」

厳密には、お菓子やアイスなら食べることができた。ただ、Yの母親の手料理だけを、まったく受け付けなくなったのだ。

Yに、その理由がわからないはずはなかった。

かつて、子どもだったYにやったのとまるで同じように、孫に、自身の献身を一手に引き受けさせようとしていた母。そして同時に父もまた、かつて自分たち兄姉にやったのと同じように、食事中の息子に声を荒らげ……そしてあとからわかったことに、Yの見えないところで、体罰を加えてもいた。

何とか息子を守らなければと焦る気持ちとは裏腹に、Yの体は思うように動かない。

「お母さんと、ここに引っ越そうか」

そんなあるとき、居間でテレビを見ていた息子が、独り言のように言った。

「わあ、いつかこんなところに住んでみたいなあ」

画面に映っていたのは、東京郊外のとあるベッドタウンだった。今から70年ほど前、第1次ベビーブームの頃に、最も栄えた街。けれども、ずっと九州の田舎町で暮らしていた息子の目には、そこがとても都会的な、魅力あふれる街に映ったようだった。近くには大きな図書館とショッピングモールがあって、少し車を走らせれば、ディズニーランドにだって行ける。

ままならない体を布団に預けたまま、ぼんやりと息子の声を聞いたYは、気がつくと口に出していた。

「お母さんと、ここに引っ越そうか」

言った途端、不思議と体が軽くなった。体の隅々にまで、じわじわと体温が戻ってくるような、そんな気がした。

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