35歳で農家継ぎ会社員時代より稼ぐ男の仕事観 亡き父の田でドローン操り次世代稲作を探る

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金沢市立工業高校の電気科に入り、1994年に卒業、ミノルタ事務機販売(現・コニカミノルタ)金沢営業所に勤めた。仕事は顧客を訪ね、コピー機を点検、修理すること。後から営業ノルマも加わり、販売にも当たった。

「当時はまだアナログの時代でしたから、コピー機の中はベルトや電磁クラッチ、ローラーなど昔ながらです。バラして掃除し、サンドペーパーでさびを落とし、オイルを塗る。これでたいていの不具合が直りましたんで、毎朝『今日はもう少し複雑な修理が入ってないかな』と思ってました。

修理の様子をお客さんが見守ってくれると、余計やる気が出て、とうとうと説明し、かつ修理する。自分ながらカッコいい仕事だなと思ってましたし、人に話し、説明し、修理するってことが楽しく、大好きでした。月に100~120件を担当し、全国にサービスマンは2000人いたけど、半期の実績で2位に入ったこともあります」

機械いじりが好きなのは父親の血だったかもしれない。父の本職は工場など大型の建設現場で溶接などを行う鉄工マンだったが、農業にも熱心で、田植え機やトラクターなどは自分で修理した。水田でもそれまでの田植え式から種子の直まきに変え、とくに1本の苗からの分けつをどうやったらアップできるか、大学の先生に教えを乞うたりしていた。なにごとにも研究熱心で、地元では篤農家として通っていた。

が、数馬さんが24歳のとき父は車の正面衝突で死亡した。父に代わり誰が田の耕作をするのか。仕方なく旧知の農家に田を借りてもらった。

父が死んで1年半後、結婚した。2002年だった。妻も土いじりが好きで、結婚後も小松菜やホウレンソウの農園、梨園などでパートをした。子どもが3年ごとに4人も生まれた。手もかかり、お金もかかり、安定した収入源が必要だったから、会社は辞められなかった。

そのうち田の耕作を頼んでいた農家の当主は年々体が弱り、そのまま農業を続けるのは無理とわかった。当主の息子は郵便局に勤め、農家を継ぐ気がさらさらなかった。それで数馬さんは自分の田を引き取り、併せて依頼先の田の面倒も見る覚悟を固めた。それまでと立場が逆になった。

数馬さんは妻にも背中を押され、2012年、35歳のとき会社を辞めた。仕事は楽しかったし、続けられるものなら続けたかった。会社も優秀な戦力である数馬さんを手放したがらなかった。名古屋のセンター長はわざわざ金沢に来て、「ちょっと待ってくれ。1年後じゃダメなのか」と言ったりもした。だが、数馬さんが優先したのは実家の農業だった。

先端技術駆使して効率化に挑む

それまで耕作を依頼していた農家の当主に1年ほど弟子入りして、施肥や病害虫の駆除、水利など、米づくりの全般を教えてもらった。県にも「会社を辞めて農家を始める」と相談に行ったところ、係員から「会社を辞めるのはどうかな」と思案顔をされた。

次ページ無人ヘリを農業に応用すべく、免許習得
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