「全ての道はローマに通ず」とワインビジネス《ワイン片手に経営論》第4回
■ワインからみたカエサルのガリア遠征
(ガリア人は)ワインを好むこと尋常ではなく、商人が運んできた酒を生(き)のままで、うわばみのごとく飲み干す。すさまじい勢いで飲んでは酔いつぶれて寝込むか、すっかり正体を失ってしまう。そもそも酒に目がないガリア人は金のなる木に他ならない。(*1)当時、ローマが手を焼いていたのが、今のフランスの地にいたガリア人でした。当時、ローマ人が蛮族と呼んでいた諸部族の一つが、ガリア人です。なぜ蛮族と呼んだかというと、どうもお酒の飲み方をわきまえないというのが理由のようです。飲み方というのは、大酒飲みということではなく、水で割って飲まずに生(き)のままで飲むことや、一人酒、乱痴気騒ぎなどの行為に至ることが、ローマ人の目には“蛮族”と映ったということのようです。
ギリシャ時代からローマ時代にかけてのワインの飲み方は、現在とは異なり、水で割ったり、塩水で割ったり、さらには松の木などのヤニを混ぜるのが一般的でした。プラトン(B.C427-B.C347)の対話篇『饗宴』には、ソクラテスらがお酒抜きで食事をした後に、ワインを水で割り、愛(エロス)について語らい合う様子が描かれています。なお、『饗宴』の原題は「Symposion」で、現在のシンポジウムの語源です。シンポジウムのもともとの意味はお酒を飲みながらいろいろと議論をする場ということだったのです。今のサラリーマンが会社の同僚と仕事帰りにお酒を飲みに行って、いろいろな話をするのもシンポジウムと言えます。
さて、ギリシャ・ローマ時代の人たちがワインを水で割る理由に話を戻すと、ワインが高価であったために消費を抑えるためだとか、ひどく酔わないようにしながら人と語り合うためだとか、はたまた、このころのワインは現在のようなワインではなく濃くてドロッとした感じのものでしたから単純に薄めるためだとか色々なことが言われています。
このような時代でしたので、ガリア人がワインを生のままで飲んでいたということは、たいそう野蛮な飲み方だと受け取られていたのです。このころのガリア人が飲んでいたお酒は、水やミルク、大麦から造ったビールの祖先にあたる「セルヴォワーズ」というものが中心でした。ガリア人にとって、ワインはギリシャやローマから輸入しなければならない貴重品であり、かつ権威の象徴でもありましたので、ガリア人はワインを求めて、イタリアに南下してはちょっかいをだす(要は侵入と略奪をする)といった小競り合いが絶えませんでした。当然、上手く侵入し、略奪に成功した際には、ガリア人は勝利を祝い正体を失うまで飲んだということです。
ワインは小競り合いの一つの原因であったのですが、この小競り合いを解決するのもまたワインでした。ワインを獲得したいのであれば、なにも侵略というハイリスクな手段をとらずとも交易をすればいいからです。ある文献(*1)によると「前ニニニ年、ローマの軍門に下ったのを最後に、ガリア人のイタリア領内への侵入にはようやく終止符が打たれた」とあります。この文献には前ニニニ年に何が起きたかは詳しく記されていませんが、おそらくマルクス・クラウディウス・マルケッルスがガリア人の部族ガエサティ族に勝利したことを指していると考えられ、このあたりを境にローマとガリアとのワイン交易が本格化し、ガリアは非常に大きなワイン消費市場となって王族、貴族から商人、職人、小地主などの上層市民へ徐々に拡大していったのです。
ローマ人にとっても、商習慣に則ってガリア人とワイン交易を行えるとなると、(冒頭で記したように)「金のなる木」と記録に残っているくらいですから、それは魅力的なビジネスであったのでしょう。ローマ商人はこぞってガリアとワインを取引するようになりました。ローマ人はガリア人にワインを売り、ガリア人はローマ人に錫、銅、銀、奴隷を売ったのです。さらに、ワインには税金が課されていたようですので、ローマ人にとってワイン取引の重要性は高かったに違いありません。しかし、この取引はとても危険を伴うものでした。なぜなら、ワインも錫、銅、銀もすべて高価なものですから、輸送の途中で強盗に商品を強奪されることがしばしば起きたからです。また、主要交易路の途中では、その地域の首領たちが武力を背景に通行税を取り立てるといったことも起きてきたのです。
こうした理由からローマ人は、この重要な交易路の安全と交易から得られる利益を確保するため、手を打ちました。それが、紀元前58年から51年にかけてユリウス・カエサルが率いたガリア遠征です。そして、皆さんご存じの通り、カエサルは見事勝利し、ガリアはローマ帝国の支配下に位置づけられることになったのです。
ローマ時代のワインビジネスは、このように、ガリアを新規市場として発展して来たわけですが、この時代のワインビジネスの発展を支えた技術は何だったのでしょうか。
*1 『ワインの文化史』(ジルベール・ガリエ・著、筑摩書房・刊)より
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