「全ての道はローマに通ず」とワインビジネス《ワイン片手に経営論》第4回 

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 ここまで説明すれば、ローマ人の道路技術の高さをご納得いただけると思いますが、こうした道路は当然、貴重なワインの輸送にも活用されていたに違いないと想像されます。ワインが非常に重たいものであることや、輸送に使われるアンフォラが壊れやすいこと、さらに復路は同じく重量物である錫、銅、銀といった金属を運送しなければならないこと、この交易路確保のためにガリア遠征したこと、こうした事実を列挙すると、道路への投資目的が、軍事目的だけでなく、商用目的もその意図に含まれていたのではないでしょうか。

 もちろん、遠方への輸送は水路が有利で、目的地にできるだけ近い港町まで水上輸送を行い、ラスト・ワン・マイルをこうした道路に頼っていたと思われます。なぜなら、いくら平坦な道路とはいっても、当時の道路は石畳でしたので、壊れやすいアンフォラを荷車でがたがたと運ぶのはやはり限界があると思われるからです。アンフォラが使われている限り、ワインを皮袋に移し変え、馬などで平坦な道路を使って輸送したと考えるのが妥当と思われます。

 しかし、紀元1世紀ごろになってアンフォラを代替するように木樽が登場し、内陸輸送の品質が格段に向上しました。木樽の方が壊れにくく、荷車に載せた道路輸送も格段に容易になるからです。そして、この木樽の登場の結果、急速にアンフォラを使った陶器は衰退していきました。あいにく考古学的にはアンフォラのような陶器とは違い、木樽は時間と共に跡形もなくなってしまうので、紀元1世紀以降の物的証拠は少ないようですが、以上のような想像は成り立つのではないかと思います。なお、この木樽については、ローマ人ではなく、ガリア人によって発明されたようです。カエサルの『ガリア戦記』には、ガリア人が木のタールを入れた木樽に火をつけて転がし武器として使ったと記されています。

 こうして水路や道路といったワインの輸送を可能にする技術が存在した結果、地中海沿岸からガリア奥地、さらには現在のドイツ、イギリスへとワイン市場が広がっていきました。

 そして、最後に付け加えなければならないのが、ローマ人の管理能力です。管理能力の高さは「ローマ水道」から窺い知ることができます。紀元1世紀初頭のローマの人口は、約50万人いたと推定されていますが、この50万人が9本の水道で喉を潤していました。

 「ローマ水道」は、その大部分が地下に造られ、全長数十キロから最長140キロ、導水管はアーチ型の高架形式で高さ数メートルから48メートルもの高さで引き回し、9本の水道の一日の送水量の合計は、99万立方メートル、一人当たり約2千リットルにも及ぶとの推定もあります。平成20年の東京の浄水場の処理能力が約690万立方メートル、一人当たり580リットル程度ですから、その規模が窺えます。といっても、当時は水道を流しっぱなしという事情もありますが。

 そして、これだけの規模の水道を管理するため、当時のローマ市は水道管理のための役所を設立し、給水槽、貯水槽、導水管の管理や水の衛生管理を行い、使用量ごとに料金も徴収していたというのです。これは、相当の管理能力がないと出来ないことであると思われます。

 さらに、これ以外に、この時代に存在したコロッセオの建設、ポンペイという国家都市の発達や、8年におよぶカエサルによる大規模なガリア遠征も、高いマネジメント能力があってこそのものです。ローマで起きたこのような事例をみると、標準的なローマ人でも高い管理能力を備え、イタリアから適切にガリアまでワインを届けるマネジメントにも充分、活かされたのではないかと想像してしまいます。

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