■1月26日 アディダス・オンナ心に火をつけるスポーツウエア
83億円。ランニングウエア市場の規模だ。日本経済新聞2009年1月24日付け朝刊・消費面コラム「数字すうじ」によると、マラソン人気でランニングウエアメーカー出荷額が前年比9.9%増で、スポーツウエア全体の2.9%に比べて大きな伸び幅だという。
記事では、仕事帰りや休日にランニングを楽しむ若い女性が増加。こうした女性向けにワンピースやスカートなどのウエアの種類が豊富になり、買い増し需要が膨らむ、と指摘している。
記事中の「ランニングスカート」、通称ランスカは、3年ほど前に海外で利用者の広がりを見せ始め、日本でもいち早く先進的なランナーが取り入れた。ニューバランスやランナーズが国内で製品化し人気に火が付いたのは記憶に新しい。
当時ランナー達の間では、機能性サポートタイツなどをはいて走るスタイルが一般的になっていたものの、女性には腰回りのラインがはっきり出てしまうという問題が存在した。「かわいく腰回りを隠せるものはないか」という潜在的なニーズをすくい取ったのがランスカだ。一方記事中にある「ワンピース」は、ゴールドウインなどが、ランドレ(ランニングドレスの略)として、さらにフワリとしたシルエットに仕上げ、かわいさ需要を加速させた製品である。
こうしたオンナ心を刺激するウエアはかわいいだけでなく、機能性も優れている。例えばプロテニスプレイヤーのクルム伊達公子選手の着用しているブランドは「アディダス アディリブリアEDGE」。ヒラヒラと優美なシルエットはかなりカワイイ。さらに、ウエアの中の空気が流れ込み、熱と汗を外に排出して体力の消耗を防ぐ「クライマクール」という技術と、立体的なカッティングで身体の稼働をより自由にする「フォーモーション」という技術を取り入れているという。
「カワイイのに実は機能がしっかり確保されている」というウエアをマーケティングのフレームワークで考えてみよう。「製品特性3層モデル」。「製品」は、「中核」「実体」「付随機能」の三つに分けられる。「中核」とは顧客が製品やサービスの購入で手に入れたい主たる便益を表す。「実体」とは製品の特性を構成する要素である。「付随機能」とは、上記に加えて、製品の中核価値に直接的な影響は及ぼさないが、その存在によって製品の価値を高めている要素を表す。
スポーツウエアの「実体」は「運動のしやすさ」だ。それを実現する「実体」が「熱を逃がす」などの機能性である。通常のスポーツウエアはこのあたりをめいっぱい強調する。しかし、女性達のニーズはそこにない。「運動のしやすさ」に直接影響を及ぼさないが、製品の魅力を高める要素である「付随機能」の部分にある「かわいさ」の魅力付けを思い切り行っている。ゆえに、機能性訴求よりもかわいさをより全面に押し出しているのだ。
アディダスはその方向性をさらに先鋭化している。「ステラ・マッカートニー」というブランドだ。
このブランドのすごいところは、機能素材を使いつつも、機能性を犠牲にしてまでかわいさを追求している点にある。過度にピッタリしていたり、ヒラヒラしていたり、はたまた不要な部品が付いていたり、着方すらわからないようなデザインもある。
「美しいレッグラインのためにピンヒールを履く」「セクシーさの演出にコルセットをつける」のと同じ。外反母趾や肋骨を痛めるリスクを気にするよりも、その一瞬を美しく満足して生きる為に、 犠牲をいとわない。そういうおしゃれにどん欲で、美しさを追求するターゲットセグメントを敏感にキャッチして開発されたのだと考えられる。「かわいいウエアを着たい」という動機で、新たなランナーが登場し、ランニングウエア市場は、新規需要が拡大するというステージに入ったというわけだ。
「ステラ・マッカートニー」を再び「3層モデル」で考える。中核の「運動のしやすさ」は既に捨てられている。「運動ができる」程度だろう。その代わり、実体のレイヤーに付随機能であった「かわいさ」が入り、「機能素材」は、あればうれしいという程度の付随機能になっている。価値構造の転換だ。
こうした変化は、新たなユーザーニーズに対応するためには積極的に行われるべきものである。一時期下火になり、昨今また息を吹き返してきたカラオケボックスという産業。中核は「歌が歌える」ということ。実体は「個室・防音・カラオケ機材」。付随機能が「飲食の提供」である。
現在流行っているカラオケボックスの利用法は、歌を歌わない。個室・防音という実体を活かしてビジネスマンが会議の場に使用するケースも多い。また、小さな子供連れの主婦グループは、個室・防音で子供が騒いでも気にすることなく、飲食の注文もできることから、おしゃべりパーティーを開くという。
中核の歌が歌えるという価値を捨て、実体の防音・個室をフルに活かし、付随機能の飲食の提供の魅力を最大化する。そして、「歌わない客」を積極的に呼び込み対応する。それもこれも、ターゲットをよく見極め、ニーズを徹底的に洗い出した結果である。
マーケティングのキモは「ニーズの深掘り」である。「ニーズ」とは、現状と理想とする状態のギャップであり、そのギャップを埋めるものが「ウォンツ」。つまり対象物としての商品である。アディダスは、女性のニーズをとらえ、さらにはウエア自体がスポーツ需要を喚起するという好循環を生み出した。脱帽である。
金森努(かなもり・つとむ)
東洋大学経営法学科卒。大手コールセンターに入社。本当の「顧客の生の声」に触れ、マーケティング・コミュニケーションの世界に魅了されてこの道18年。コンサルティング事務所、大手広告代理店ダイレクトマーケティング関連会社を経て、2005年独立起業。青山学院大学経済学部非常勤講師としてベンチャー・マーケティング論も担当。
共著書「CS経営のための電話活用術」(誠文堂新光社)「思考停止企業」(ダイヤモンド社)。
「日経BizPlus」などのウェブサイト・「販促会議」など雑誌への連載、講演・各メディアへの出演多数。一貫してマーケティングにおける「顧客視点」の重要性を説く。
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