2005年からサービスを開始しましたが、結果的に成功して、いろんなところで紹介されたりもしました。そのとき、厚生労働省の方が視察に来られ2時間ほどヒアリングを受けたんです。起業して間もなくでしたから、「偉い人」に視察に来ていただいたのがうれしくて、一生懸命に話をしました。
すると、数カ月後に、日本経済新聞で政府が訪問型病児保育を始めるというような記事を読んだんです。愕然としました。ぼくが血と汗と涙で2年間も準備して始めた事業が、たった2時間のヒアリングで、何の断りもなく勝手にまねされたと思ったんです。もちろん、すごく憤りました。
ところが、福祉業界の先輩たちに話を聞くと「そんなの当たり前だ」と笑っているのです。「政府にはアイデアなんてないんだよ。だから、福祉制度っていうのは、昔から現場が試行錯誤して成功した仕組みを、官僚や政治家が制度化して作られていくものなんだ。だから、パクられてこそ一人前なんだよ」と言われました。
雷に打たれた気分でした。われわれがやっているこのミクロの実践が、行政にまねされて制度化されることで、点としての問題解決が面としてのマクロの問題解決になる可能性が広がることに気づいたんです。
憤っていては単なる被害者ですが、まねされることは社会を変えうる福音だと思えばいいじゃないか。だったら、それを逆手にとって、社会を変えてやろうと思うようになりました。そこから、ぼくのさまざまな社会起業が始まっていったんです。
行政の内側に入り込む――小規模認可保育所の成功
船橋:それで、行政とも積極的に関わるようになったということですか。
駒崎:いえ、一気にそこにいったのではありません。実は、病児保育の仕組みは政府にまねされてよかった、ということでは終わりませんでした。政府の病児保育制度は数年後に打ち切られ全国に広がらないうちに終了してしまいました。制度設計の細部が甘かったんです。ぼくにとっても挫折でした。
船橋:価格設定ですか。いちばんの敗因は。
駒崎:補助金の制度というか、事業者のインセンティブのつけ方が間違っていたと思います。子どもを預かっても預からなくても支給される補助金が同じだったのです。それなら、事業者としては、補助金だけもらって子どもは預からないほうが得です。そんな簡単なことすら厚労省の官僚の方はわかってなかったわけです。せっかく、作り上げた病児保育の仕組みが、本当に愚にもつかないミスで失敗に終わってしまいました。
それで、とても反省しました。もし、制度設計から一緒にできたら、事業者の心理や実情を細かく説明して、子どもを預かれば預かるほど補助金が増えるようにインセンティブを設計するようアドバイスしたり、いろんなことができて、失敗しなかったはずだと思いました。
なんとなく、まねされるだけではダメなんだ。神は細部に宿ると言いますが、政策も肝要なところは細部に宿りますから、そこまでやらないといけないのだと思い知ったのです。
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