それで、「おうち保育園」のときは、最初からまねされることを狙って事業を立ち上げました。都心の空き家を活用して、0歳から2歳までの乳幼児を預かる小規模の保育所を2010年にスタートさせたんです。
船橋:このおうち保育園は、冤罪事件のあと事務次官になった厚労省の村木厚子さんが注目してくださったんですね。
駒崎:そうです。村木さんは、すぐに「これはいい。すぐに法案に取り入れよう」と言ってくださいました。ぼくは、今度は失敗したくないと思っていましたから、制度設計に参加するためにすぐに行動しました。
まず、全国小規模保育協議会という任意団体を作って、その理事長になりました。政府の審議会に入れてもらうためです。そういう業界団体を作って役職につかないと、厚労省が審議会のメンバーにぼくを選ぶ大義名分がありません。病児保育のときは、そうした政治や行政の仕組みをよく理解していませんでした。
そして、審議会の委員になって制度設計に携わりました。2年間の審議会ではさまざまな提案をしましたが、その8割ぐらいは法案に受け入れられました。そして、2015年に70年ぶりに認可保育所の形態を変え、定員6人から19人の小規模認可保育所の制度ができたんです。それまでは、定員20人に満たない保育所は認可されませんでした。
小規模認可保育所は大成功でした。2010年にはわれわれの「おうち保育園しののめ」の1園だけだったのに、2015年に制度を発足した時点で小規模認可保育所は全国に1600カ所に増加し、今では4200カ所以上になっています。爆発的に広がったんです。つまり、社会に必要とされていたということで、小規模認可保育所は待機児童問題解決の救世主として成長し続けています。
使えるものはなんでも使う
船橋:なるほど。行政の制度設計に関わることができずに失敗した病児保育制度の失敗に学び、小規模認可保育所のときは周到な準備をして審議会に加わり、制度設計に深く関与することができたということですね。つまり、いろんな壁に突き当たりながら、政策を動かす方法論を学んでいったということでしょうか。
駒崎:はい。本当に壁にぶつかりながら学んでいったという感じです。ぼくが最初に参加した行政の委員会は、東京の某区の市民委員会でした。「次世育成支援対策推進法」に従って行政が作成した行動計画を、市民目線で検証する委員会だったのですが、それが、ぼくが政策に関わった最初の体験でした。
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