当初2人の邸宅は六本木の鳥居坂にあったが、紀尾井町にあった北白川宮が高輪に移転したことにより、その跡地2万坪が下賜され、この洋館が建てられた。
この土地は、江戸時代は紀伊徳川家の屋敷地だった。隣接して尾張徳川家、そして彦根藩井伊家の屋敷があったことが紀尾井町という地名の由来となっている。紀伊徳川家の屋敷地は、維新後の明治17(1884)年に北白川宮邸となり、その後李王家邸に。戦後に西武鉄道に土地建物が売却されてプリンスホテルとなったが、この洋館建築は継承されてきた。
平成25(2013)年から28(2016)年にかけて行われた紀尾井町一帯の再開発の際には、洋館建物の地下部分に隣接するオフィス・ホテル棟の躯体を構築するために、建物全体をレールに乗せ、油圧ジャッキで曳家し、2度に分けて約30〜44メートル移動させた。
しかし建物の向きは基本的に変わっていない。また、内部のインテリアは創建当時の資料を基に、主要部分を復元している。
美しいステンドグラス
この李王家東京邸の外観はチューダー様式で、以前にこの連載でも紹介した前田侯爵邸(『駒場公園に建つ90年前の「華族の邸宅」を探訪』)と共通するイギリス風の落ち着いた雰囲気。屋根に2つの尖塔がそびえる姿には威厳を感じる。
建物に入ろうとすると、玄関脇には優美な大理石製のレリーフ。玄関ホールの階段の手すり彫刻、ステンドグラスなどの豪華な装飾にも目を奪われる。
1階には広間、客室、食堂、撞球(ビリヤード)室など来客用の部屋が置かれ、2階が寝室や書斎などのプライベート・スペースとなっている。
とくに玄関を入って左脇の客室には、創建時からの内装が数多く継承され、照明器具、キャビネット、アルコーブ部分の柱や天井のデザインなどに宮邸当時の高貴な雰囲気を感じる。復元にあたり、壁紙は、京都の織物メーカー製の、創建時と同様の延寿華紋柄のものが調達されたという。
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