10年間車いすの客を待ち続けたバー店主の願い

大分で開業、故忌野清志郎氏に背中を押され

関元さんは大阪の高校を卒業後、東北や東京で働いた。その後、鹿児島県霧島市にある古民家を利用した旅館「忘れの里 雅叙苑」に併設された屋台のバーで、バーテンダーをしていた。

独立したのは15年前。最初からバリアフリーのバーを作ろうと考えて、店の場所を妻の故郷の大分に決めた。その構想は、随分前から持っていたという。

「祖父が事故で片足を失っていました。四国にある墓参りの時など、墓がある丘の上まで父親が祖父をおぶって歩く姿を見て、子どもながらに大変だなあと思っていました。車いすでどこでも行ければいいのに、という思いが根本にあったのかもしれません」

大分は車いすユーザーが集う場所でもあった

大分を選んだのは、妻の故郷ということ以外にも理由があった。大分市では、世界初の車いすだけのマラソン大会として始まった「大分国際車いすマラソン」が、1981年から毎年秋に開催されている。

隣の別府市には、障害のある人の自立を支援する福祉工場や住居に加えて、スーパーや銀行、スポーツ施設まで備える「社会福祉法人太陽の家」がある。創設者の故・中村裕博士は1964年の東京パラリンピックの開催にも尽力し、「日本のパラリンピックの父」と呼ばれている。

バーの店内。客席側の床を底上げして、車いすが自然に入れるようにカウンターの高さを調節している(筆者撮影)

「車いすマラソンや太陽の家があることを知って、どうせ独立するなら大分でバリアフリーの店を作ろうと、自然に考えるようになりました」

店を作るに当たって関元さんは、車いすで積極的に活動している人をインターネットで探し、連絡を取って、設計段階からアドバイスをもらった。

例えば、ハイカウンターにすれば工事費も安く済むが、車いすで使うにはカウンターの高さが高すぎる。そこで工事費は高くなるが、客席側の床を底上げして、車いすがすっと入り、市販のいすの高さにも合うローカウンターを採用した。

入口から客席に入る通路には、緩やかなスロープも作った。関元さんはアドバイスを受ける中で、初めて知ることがたくさんあったと話す。

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