10年間車いすの客を待ち続けたバー店主の願い 大分で開業、故忌野清志郎氏に背中を押され

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念願のバリアフリーバーは無事オープンできた。ところが、店の宣伝をまったくしなかったため、車いすの客はいつまで経っても来なかった。

「口コミが広がって、誰か来てくれればいいかなと。小さな店なので、自然に任せればいいと思っていました」

開店11年目、やっと出会えた車いすのお客さん

大分国際車いすマラソンが開かれる日は、定休日の日曜日だったが、選手や関係者が来るかもしれないと毎年店を開けていた。しかし、それでも来ることはなく、車いすマラソンの客は10年間ゼロだった。

右の色紙は故忌野清志郎さんが書いたサイン入りのメニュー。オリジナルカクテル「Calvados A GoGo」は清志郎さんが関元さんのために命名したという(筆者撮影)

するとオープン11年目、車いすマラソンの日に、初めてとなる車いすの客が訪れた。車いすマラソンの元選手で、指導者として活動している花岡伸和さんだった。別の店から紹介されて来たという。

「ついに来てくれたと思い、本当にうれしかったです。やっとお会いできましたねと言いました(笑)」

その翌年の車いすマラソンの日、店内は初めて車いすユーザーで満席になった。店内のいすは重ねて積み上げることができるタイプだったので、すべての席を片付けて、車いすの客を迎えることができた。関元さんの思いは、12年目にようやく届いた。

現在、関元さんの店を訪れる車いすユーザーの客は、常連が数人。その常連客の1人は元々大阪在住だったが「こんな店があるのなら」と大分に移住するきっかけになったそうだ。

客以外にも、バリアフリーの店を作りたいので見せてほしいという人が、時々県外から訪れるという。

「どこで聞かれたのか、店を見せてほしいという方もいらっしゃいます。参考になればと、寸法を測るのも自由ですし、聞かれたことには何でも答えています。多くの方に興味を持ってもらえる面でも、やってよかったと思いますね」

工事にかかった費用は金融機関から借り入れていたが、その返済はすでに終わっている。

「生まれつき車いすを使っている方はどちらかというと少なくて、病気や事故によって車いすで生活するようになった方が多いそうです。誰でもそうなる可能性がありますよね。通っていただいているお客さんが車いす生活になっても、安心していつまでも店に来てもらえればと思っています」

田中 圭太郎 ジャーナリスト・ライター

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たなか けいたろう / Keitaro Tanaka

1973年生まれ。1997年、早稲田大学第一文学部東洋哲学専修卒。大分放送を経て2016年からフリーランスとして独立。雑誌やWebメディアで大学、教育、経済、パラスポーツ、大相撲など幅広いテーマで執筆。著書『パラリンピックと日本 知られざる60年史』(集英社)、『ルポ 大学崩壊』(筑摩書房)。

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