「もう年だから」の一言が「ダメ!絶対」な理由 86歳、料理研究家「棚ぼた人生」の秘訣とは
でも当時の炭鉱はとても活気があった。大卒の給料が1万5千円くらいの時代に、4万円もらっていた。俺は2万円家に入れて、あとの2万円でちゃらんぽらんな生活をした。とにかく、飲んだ。「飲む」と言わず「かぶる」と言っていた。
そんな生活がしばらく続いて、そのあと肝臓を壊し、10年間酒を断つことになった。
60歳までは人生の下ごしらえ
そんなこんなで、俺の人生は順風満帆で来たわけじゃ、まったくない。
子どもの頃はいつもお腹を空かせ、死と隣り合わせの毎日。就職だって「長男だから」という理由で仕事は選べなかったし、結婚生活もうまくいかなかった。さらには親を看取る必要もあって苦労した。
でも今の暮らしは、そういうところからいろんな学びを得てきた結果だと思う。つらい経験の中にも、一瞬でもキラッと輝く瞬間がある。それを忘れないことだ。
子どもの頃は命をつなぐために、野山を駆け巡って山菜や魚を捕ったりしていた。食べることに喜びを感じていたし、貧しかったからこそ、それを楽しんでいた。
だから、必要に迫られていたとはいえ、料理をすることにはまったく抵抗がなかったんだと思う。料理を考えることも楽しいし、料理研究家となった今も、アイデアがたくさん浮かんでくる。山や川で生まれたイメージが、今につながっているんだと思う。
もしかしたら、老後を楽しめるということは、子ども時代とつながっているんじゃないか、と感じることがある。子ども時代、何にいちばんワクワクしたか。その気持ちを忘れず、大切にすることだ。
もっといえば、定年ぐらいまでは人生の「下ごしらえ」で、それをどう調理していくかは、それからなのかもしれない。
60歳から先の人生は、長い。それまでの下ごしらえをどうしていくか――。
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