「会社でキレる人」が生産性を下げる科学的根拠 日本人は「時代遅れの考え」にとらわれている
怒りで人を支配するという時代遅れの考え方
最近、プロ野球のある有名選手が、少年野球の現状に苦言を呈した。
「指導する大人が暴言や罵声を浴びせながら教えている。子どもはできないのが当たり前なのに、それを怒るのはおかしい」と。
私の子どもの頃ならば、怒鳴り散らして教える鬼コーチを「おかしい」と言う人はほとんどいなかった。何しろスポ根全盛の時代だ。漫画やドラマの世界にも「怒鳴られ、時には殴られながら、選手たちは成長していきました」という物語が多くあったし、現実にもそういう逸話が語られ、非難されるどころかむしろ称賛されていたように思う。
少年野球と同じようなことは、日本の駅やお店、会社のなかでいまも見られる。
仕事ができない部下を叱責する上司、接客が不十分な店員を叱る店長、駅の混雑のさばきが適切でないと駅員に詰め寄る乗客など、きっとあなたも、目にしたことがあるだろう。
しかし時代は変わった。怒ったり怒鳴ったりすることに何の意味がある? もちろん殴るなんてもってのほか、という意見に耳を傾け、賛同する人が増えたように思える。
「人を従わせようと望む者は、命令の仕方を知る必要がある」「愛されるよりも恐れられるほうがはるかに安全だ」。これは、目的のためならどんな手段も辞さない冷徹な人の代表格と見なされているマキャベリの言葉である。
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