21. なかで自社・自宅に駐車するものが300台、料金を払って「平面車庫」に駐車するのが100台と報じられていた。
22. 駐車場に可能性を感じた彼は米国デトロイトの駐車場ビルの構造を改良し「水嶼式自動車庫」として特許を取得。
23. 1929年6月15日、東京市麹町区丸之内一丁目八番地(現・丸の内1丁目)に日本初の立体駐車場を開業する。
24. 鉄筋コンクリート6階建て、延べ面積5297.79m2の自走式駐車場で「ガラーヂビル」と命名された。
25. 特長は〈半フロア〉ごとに互い違いになっている構造。米国のフェルナンド・デューミー考案のスタイルだった。
26. 当時の総工費は40万9190円24銭ともいわれ、開業当日には『朝日新聞』に大々的な広告を打った。
27. 駐車場の広告としては日本初とされ、ガソリンや車用品の販売、修繕等のサービス、食堂もあったことが伺える。
28. 月極駐車料35円以上、臨時駐車料は一日1円50銭。フロアや車体サイズによっても駐車料は多少異なった。
月極駐車料35円は、現在価格で約20万円
29. 展示販売を目的とした商品車や中古車の場合は値引きされたが、35円は当時の大卒初任給とほぼ同額であった。
30. ガラーヂビルでは洗車サービスも行われ、契約車両の場合は何度でも無料で洗車を受けることができた。
31. 昭和初期とはいえ当時は車の絶対数が少ない上、道路交通法が未整備だったこともあり路上駐車が当たり前。
32. 開業から一年経ってもガラーヂビルは不振が続き、〈車〉と名の付くものは何でも受け入れる方針に転換する。
33. 庶民の足として利用されていた人力車、中央郵便局の郵便車、ときには東京市電共済組合の霊柩車も入庫した。
34. 1945年3月東京大空襲の最中、従業員たちは屋上に落ちた焼夷弾を箒で叩き払い、全車両を無傷で守り抜いた。
35. 安全性を誇るガラーヂビルは〈奇跡の駐車場〉という噂が広まり、丸の内の企業から数多くの契約が寄せられた。
36. 戦後の混乱期、ガソリンや部品を盗む事件が相次ぎ路上駐車に不安を感じはじめたことも理由のひとつだった。
37. 駐車申し込みはプレミアがつくほどの人気で、250台収容の空間ながら500台の契約を受けていたこともあった。
38. この2倍の収容方法は治安のよい昼は路上に車を出しておき、夜間になるとスロープまで隙間なく車を詰め込む。
39. これは契約者同意の元に行われていた収容方法で各々の出庫予定時間を記録し、その順番に車を入れていた。
40. 戦後の1957年、日本で初めて都市における自動車駐車のための施設整備に関する事項を定めた「駐車場法」制定。
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