「駐車場」の奥深さをどれだけ知っていますか その歴史から全容を蘊蓄100章でひもとく

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「駐車場」が日本で定着したのはいつからか、ご存知ですか?(写真:freeangle/PIXTA)
モノ情報誌のパイオニア『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス社)と東洋経済オンラインのコラボ企画。ちょいと一杯に役立つアレコレソレ。「蘊蓄の箪笥」をお届けしよう。
蘊蓄の箪笥とはひとつのモノとコトのストーリーを100個の引き出しに斬った知識の宝庫。モノ・マガジンで長年続く人気連載だ。今回のテーマは「駐車場」。意外と知らない基本中の基本から、あまり知られていない逸話まで。あっという間に身に付く、これぞ究極の知的な暇つぶし。引き出しを覗いたキミはすっかり教養人だ。
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01. 「駐車場」とは、自動車や自動二輪車を駐車するための場所。英語を元に「パーキング(parking)」とも呼ぶ。

02. 大阪府をはじめとする西日本や中部地方では民間駐車場のことを「モータープール」と表現することがある。

03. 本来、英語の「motor pool」は米軍の車両部隊や官庁の公用車待機所または部隊のことで〈駐車場〉の意味はない。

04. 日本では明治に入ると、江戸時代の駕籠(かご)に代わり、新しい交通手段として「人力車」が誕生した。

東京都・浅草や京都府・嵐山などで有名な人力車。現在では軽車両の扱いとなり、原則として車道を通行しなければならない(写真:shimanto/PIXTA)

05. 人力車は後部座席に人を乗せて人力で引く二輪車のことで、東京鉄砲洲の和泉要助と本銀町の高山幸助らが考案。

06. 舶来の馬車の形から案出したもので、1869 (明治2)年に試運転。翌年3月「新造車」として開業を出願した。

07. 自家用からタクシーのような利用方法まで明治を通し幅広く普及したが、人力車には駐車場の指定はなかった。

08. 車夫たちは客の用事が長引く場合はあらかじめ迎えの時間を決めておき、その時間まで別の客の仕事をこなした。

09. また客の用事が短時間の場合は、人力車を路上に駐車し自分の車のそばで待機した。

日本で初めて実用された「自動車」は、英国産だった

10. 日本に「自動車」が持ち込まれたのは1897年11月。フランスから見本として輸入されたものが最初とされる。

11. 明治天皇の御料車も馬車であったこの時代、人力車や馬車、馬鉄しか目にしたことのない人々は衝撃を受ける。

12. 1912年大正天皇の即位に伴い御料車が自動車に変更。当時の自動車先進国・英国から輸入されたものだった。

13. 車種は「デイムラーランドレー57.2HP」で、英国王室で初めて御料車に採用された車という実績を評価された。

14. その選定に関わったのは、日本初の自動車輸入会社「日本自動車」を設立・経営していた大倉喜八郎だった。

15. 一方、仏・ルノー車を独自に輸入販売していた水嶼(みずしま)峻一郎は1913年にルノー社と代理店契約を締結。

『モノ・マガジン』6月2日号(5月16日発売)。特集は「オートバイを、もういちど。」などです。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

16. しかし当時のルノーは破格の高級車だったため業績は伸びず、水嶼はルノー車を使用したハイヤー業を開始する。

17. その後、「車庫業」を思いついた水嶼は1922年東京・帝国劇場に隣接した東京會館前に4階建てビルを建設。

18. 〈昼は三越、夜は帝劇〉が上流マダムの代名詞だったこの時代、彼のハイヤー業&車庫業は大繁盛した。

19. 翌1923年に関東大震災が発生。すべてを失くした水嶼は海外で普及し始めていた「駐車場ビル」で再起を図る。

20. 関東大震災後、東京市内の自動車は約1500台。そのうち丸の内に出入りする車は約400台あった。

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