「沖縄と核」の歴史、戦後の知られざる真実 恩納村に中距離核ミサイルが配備されていた
実は、現在、この建物を含むかつてのメースB基地全体は、宗教法人・創価学会の所有となり、その研修道場として使われている。敷地内の樹木はきれいに整備され、ミサイル発射口だった六角形の穴の上には、天使や筋肉質な男性など、古代ギリシャ風の彫像がいくつも置かれている。一見、美術館の中庭のような景観が広がっているため、米軍の秘密基地だった当時を知るオハネソンはその落差に驚いたのだ。
しかし、本当に重要なのは、オハネソン氏が「ここは戦争のただ中にあった」と言ったことのほうである。
真珠湾攻撃に端を発する太平洋戦争は、1945年の広島・長崎への原爆投下によって、その年だけで20万人以上ともいわれる一般市民の犠牲の末にようやく終わりを告げた。戦後、日本は「平和国家」として生まれ変わり、その後、現在に至るまで一度も戦争を起こさず、また他国の戦争にも巻き込まれていない、とされている。
しかし、アメリカの施政権下に置かれ、日本本土から不可視とされた沖縄は、オハネソン氏の言葉を借りれば、「戦争のただ中」にあった。しかもそれは、再び核兵器が用いられる可能性のある戦争だったのである。
沖縄に核兵器を配備していた
私が、「沖縄と核」をテーマとして取材を開始したのは、2016年2月のことであった。その月、アメリカ政府の機密文書の分析を専門とする研究機関ナショナル・セキュリティ・アーカイブ(NSA)が、一本の論文を公表した。そこには、こう書かれていた。
ここで語られている2つのことが、この取材を立ち上げるための重要なきっかけとなった。
1つは、アメリカ国防総省が最近になって、「本土復帰前の沖縄に核兵器を配備していた事実」を初めて公式に認めたということ。この決定によって、新たな公文書が解禁されたり、これまで機密保持という壁のために証言を拒んでいた人々が、何か重要なことを語り始めたりすることが期待できるかもしれない。
もう1つは、NSAが、沖縄に配備された核兵器を撮影した写真が25年間誰にも請求されることなく埋もれていたことを「驚くべき事実」と語っているように、実は、「沖縄と核」についてまだ研究者もメディアも十分に光を当ててこなかったのではないかということだ。
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