女子の「盛り」文化は30年でこう変遷してきた 「アムラー」の誕生から「オルチャン」の時代へ

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「細眉に茶髪、厚底ブーツにミニスカの子がアムラーと呼ばれましたが、どちらかというと安室奈美恵さんのほうが女子高生たちの発信したものをすくい上げていたのではないでしょうか」(久保さん、以下同)

'96~'97年に『egg』『Cawaii!』といったストリート系のギャル雑誌が次々と創刊、渋谷にいる女子高生たちのスナップ写真が掲載されたり、読者モデルとして活躍したりするように。

彼女たちが注目したのはショップ店員。ファッションビル『SHIBUYA 109』の“カリスマ店員”だ。ウイッグやつけまつげ、ネイルアートをいち早く取り入れ、女子高生たちの支持を集めた。

久保友香(くぼ ゆうか)/1978年生まれ。シンデレラテクノロジー研究者。日本文化、伝統を数値化する研究の後、“盛り”の計測を始める。著書『盛りの誕生』(太田出版)が4/18発売予定(写真:週刊女性PRIME)

「盛るという言葉はまだ出てきていませんでしたが、当時のカリスマ店員の派手な装いは、“素材”にかかわらず誰でも可愛くなれるという盛りの原点。こうした渋谷の文化が雑誌を通じて全国規模の文化に発展していったのです」

そして、ポケベルやPHSなどの通信手段が浸透し始めると、女子高生同士が学校を越えて連絡を取り合って、放課後に渋谷などに集うように。なかにはサークル活動を始める女子も。いわゆるギャルサー(ギャルサークル)だ。

「2001年ごろ盛り上がっていたギャルサー開催のイベントのパンフレットに、最初に“盛る”という言葉が出てきたようです」

彼女たちが目指していたのはプリクラ映え。多くの学校では校則が厳しく、髪は染められない。どのようなメイクや髪型なら当時のプリクラ機で実物よりよく写るかを試行錯誤しながら、「盛れる」「盛れてる」などと使い始めたのだ。

携帯ブログでの発信も始まる

一方、渋谷に憧れていた地方在住者はネットを使い、携帯ブログで発信し始めた。

「『デコログ』をはじめとした女の子向けの携帯ブログコミュニティーで、全国の女子がつながっていました。知り合いに囲まれた環境で暮らす地方の子は特に派手で目立ちすぎるメイクなどができないので、白い肌で茶髪をくるりと巻き、デカ目を強調するスタイルが流行った。

アイメイクのプロセスやつけまつげのカスタマイズ法などを詳しく紹介し、自撮り写真をつけて公開しているブログが人気ランキング上位でした」

'12年にはスマートフォンの世帯普及率が49・5%にまで上昇。女子文化の舞台は、渋谷という街から、携帯ブログを経て、ツイッターやインスタグラムなどのSNS上に場を移す。

「もはやデカ目の時代も終わりました。今のヘアメイクはアプリを活用した“ナチュラル盛り”が主流。最近では顔を盛ることよりも、伏せた顔や横顔だけを写し、ファッションを含めた全身と、自分のいるシーン、つまり世界観ごと盛る“トータル盛り”なのです

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