傷ついた側と傷つけた側に向き合う彼女の覚悟 性暴力の当事者を許容しない社会への違和感

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追いかけてきた友人と一緒に病院に戻ると、ちょうど居合わせた女性の医師が「空きがあるから診てあげる」と言ってくれた。診察室でも倒れてしまったが、倒れる直前に聞いたのは「私はあなたの話が聞きたいのよ」という医師の声。そんなことを言われたのは初めてだった。結局、その医師の元に10年以上通うことになった。

少しよくなったと思えば、またフラッシュバックが起こる。何年もそれを繰り返した。人との出会いもさまざまだった。友人が去っていくこともあれば、突然、理解者が現れることも。

民事訴訟が和解となったとき、勝訴するつもりだった父は「お前の真実なんて意味がない」と言い放ち、それから数年、実家とは連絡を取らなかった。一方で、転職した会社の上司は事情を察して「ツラいときは休みなさい」と言ってくれた。後になって、彼の身近な人も性被害に遭っていたことを知った。

事件のあった1995年1月は阪神淡路大震災が発生し、にのみやさんも友人が行方不明になった。3月には地下鉄サリン事件。大きな事件が続く中で、「亡くなった人には本当に申し訳ないけれど、どうして私が死ななかったのだろう」と何度も考えた。

「写真」と出会えた1997年

自殺未遂を繰り返し、リストカットの痕は今も残る。1998年の夏には、日本海に飛び込んだことも。台風が本州を縦断するニュースを見て、発作的に新潟まで行った。荒れた海に飛び込めば死ねると思ったからだ。

台風はそれたが、それでも海に入った。でも、体は沈んでいかなかった。

「そのときの経験は、してよかったと思っています。何をやっても死ねないんだっていう諦め、というか開き直り。その後もリストカットが止まらなかったけれど、リストカットをしても『生きなきゃ』とは思っていた」

写真を始めたのは事件から2年後、1997年の頃だ。世界がモノクロに見えると言っても、人に伝わらない。言っても苦笑いされるだけで、相手にされない。

偶然手にとった美術書を開いたとき、「写真という手があるじゃないか」とひらめいた。モノクロ写真に焼いて見せたら、自分の見ている世界が伝わるかもしれない。簡易暗室セットを友人に買ってきてもらい、使い方を聞くそばから写真を撮って現像した。像が印画紙の上に浮かび上がってくる。それを見て、気持ちがすーっと落ち着いていくのを感じた。

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