傷ついた側と傷つけた側に向き合う彼女の覚悟 性暴力の当事者を許容しない社会への違和感

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「被害に遭った5年後に、加害者に謝罪してもらったことがあるんです。彼は当然のように頭を下げたけれど、私には全然届かなかった。彼は事件そのものを謝罪している。でも私は、事件からその後のすべてを謝ってほしかった。そこに相容れないものがありました」

事件後も被害者が苦しみ続けることを、加害者の多くは知らない。回復しない自分を責める気持ち、出口を求めてさまよい続ける孤独。被害者が奪われた膨大な時間を加害者は知らない。そこには、あまりにも深い断絶がある。

「被害者の現実と加害者の現実がそれぞれあって、その隔たりには愕然とする。一方で、被害者と加害者って置かれる状況がすごく似ているんです。社会的に孤立したり、周囲から理解が得られなかったりという点で共通している。この矛盾は何なのだろうと思う」

「日本は犯罪者にやり直しを認めている社会です。性犯罪には終身刑はない。基本出てくる。やり直せと言っています。被害者にも、被害に遭ったことにいつまでもこだわるな、やり直せって言う。でも実際にやり直しを認めているのかといえば、社会は許容していない。『あの人は加害者だったから』『あの人は被害者だから』ってレッテルを貼って関わらないようにする。そうである限り、回復ややり直しはない。おかしいなと思います」

社会は加害者について知らなさすぎる

性犯罪は、被害者が訴えなければ発覚しない。だからこそ被害者の語りが求められる。しかし被害者だけではなく、「加害者が告白できる場所を作らないといけないのでは」と、にのみやさんは言う。社会が加害者について知らなさすぎるからだ。

1990年代の性犯罪被害者に対する対応について、にのみやさんは『声を聴かせて』の中でこんなふうに書いている。

私たちが被害に遭った当時はまだ、警察や病院の対処も不十分すぎる時代だった。警察で取り調べられれば、本当は嬉しかったんじゃないのなんて言われ、そのくらいであんまりおおごとにすると、あなたが傷つくだけだと思うよ、なんて言われ。その言葉は、事件に遭ったばかりの被害者にとって、残酷極まりない響きを持っており。
でもそれもまた、現実なのだった。

当時と比べれば、被害者への対応や支援の状況は多少なりとも変わりつつある。一方で加害者はどうだろうか。加害者が自分の加害性に気づき、それを改める場は、この社会にどれほどあるだろうか。

私は、にのみやさんが参加している加害者の臨床プログラムに参加したことがある。そこで感じたのは、「彼らは、にのみやさんの1万分の1でも自分と向き合った経験があるのだろうか」ということだった。にのみやさんがどれだけの経験をして今ここにいるのかということを、彼らは少しでも理解しているのだろうか。

そう言うと、にのみやさんは「わかんないでしょうね」と笑った。

それでも――。

「加害者と被害者がやり直す社会は、加害者と被害者と、それ以外の第三者がごちゃ混ぜにいる場所。ちゃんと社会とリンクしていかないと、どこまでも社会復帰できない。加害性と被害性を、みんなで分かち合える場が必要だと思っています」

にのみやさんの模索は続いている。

小川 たまか ライター

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おがわ たまか / Tamaka Ogawa

1980年、東京都出身。ライター。文系大学院卒業後、フリーライターを経て2008年から編集プロダクション取締役。2018年4月に独立し、再びフリーライターに。2015年頃から主に性暴力の取材に注力。Yahoo!ニュース個人「小川たまかのたまたま生きてる」などで執筆。『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』(タバブックス)は初の著書。

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