傷ついた側と傷つけた側に向き合う彼女の覚悟 性暴力の当事者を許容しない社会への違和感

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カウンセラーの勉強をし、被害者からの相談電話や相談メールの窓口を開設していたこともある。けれど、始めてから5年経った2012年を区切りに、いったん交流をやめた。きっかけは、以前カメラの前に立った女性から言われた言葉だった。

「姉さんはもう、被害者じゃない。加害者だ」「姉さんは再婚もして妊娠もして、私たちが持てないものを全部持ってるじゃない」

きれいごとではすまない現実

にのみやさんは2000年に結婚し、長女を出産している。その後、離婚したが、現在は新しいパートナーとの間に長男も生まれた。新しいパートナーとの再婚が決まったのが2012年頃で、にのみやさんは妊娠中だった。

自分が加害者側なんて、思ってもみない自分がいた。

「加害者であって被害者、被害者であって加害者……。今でこそ、誰の中にも加害者性はある、なんて傲慢だったんだろうって思うけれど、そのときはまだ私は被害者であることでいっぱいだった。だからショックでした」

私は数年前、当時まだ面識のなかったにのみやさんからメールをもらったことがある。私の書いた記事への感想とともに、被害者同士でも理解し合えないことがあることや、被害者だからといって連携できるわけではないことがつづられていた。にのみやさんの十数年にわたる経験からくる、きれいごとではすまない現実がそこにはあった。

被害者同士で足の引っ張り合いになることもある。なぜなら、そのぐらい社会から隔絶され、追い詰められて、孤独だからだ。

その後に撮った作品集が「SAWORI」だ。妊娠中の姿や、リストカット痕を撮った写真を土に埋めているカット、生まれた長男を抱く夫、夫が長女・長男と寝転がる一枚もある。陽の当たる場所で撮られた写真が多いが、最後は自身の影を撮った1枚で終わっている。

写真集「SAWORI」より

自分の加害者性を見るのは怖いこと。「行き着いたのは被害者でも加害者でもなく、個人として立つしかないということ」だったと、にのみやさんは言う。

2019年の今、にのみやさんが力を入れているのは性犯罪の加害者との対話だ。2017年から、加害者臨床の専門家である斉藤章佳さんが勤めるクリニックで月に1~2回、加害者たちの前で話をしている。加害者との対話を望んだきっかけは、かつて自分を傷つけた上司の謝罪に違和感を覚えたことだった。

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